石垣島も”啓蟄”。

約一週間ぶりに晴れ間が出た昨日は、風もなく海上はどこも穏やかだった。
石垣島から南に向かい竹富島を右に見る竹富航路は,十メートル下の海底がはっきり見えるほど海が澄んでいた。
下げ潮の時間にあたる午前十時、この狭い航路はちょうど向かい潮になるため、パワーの無い“千夏”は二三ノット速力が落ちた。
おかげで久しぶりの好天の中、海底に広がる珊瑚や白い海底を堪能しながら航海ができた。
黒島と石垣島の環礁に挟まれた波照間航路は、冬の間いつも二メートルを超えるうねりが入る所だけれど、昨日はどこまでも広がるアスファルトの駐車場のように真っ平らだった。
波照間航路をぬけて環礁も終わり、太平洋からの流れがまともにぶつかる所まで走ったけれど、ここでも船はアンカーが無くても釣りが出来るほど静かだった。
一人で釣りをしていて、船からアンカーを入れたり、また移動のためアンカーを上げる作業はやはり億劫なものだ。
昨日はその作業をしなくてもいいだけ、クイックリーに場所を変えることが出来る。
つぎの場所にすぐ移動できる気楽さは、広範囲を探れるということでいろいろ普段出来なかったことを試してみたくなる。
以前グルクンの群れを見た30メートルの所でまず針を入れた。
ここでも水深二十メートルは見えるほど澄んだ潮が入っている。
針とエサを入れてすぐに船の下にグルクンの群れが寄って来たのが見えた。
否応がなしに期待は高まった、“なつや”には一週間自分が釣った魚が無かったから。
が、いっこうに針に食いつかない。
かすかな潮に流されてゆく寄せエサのオキアミばかりをついばんでいる。
潮が澄んでいる分魚からも針や仕掛けがばれてしまっているのだろう。
二十メートルほどの所で二メートルほどのカジキがばしゃばしゃとテールウオークしている。
カジキを釣るにもグルクンが釣れねば手も足も出ない。
しばらくして一抱えほどの甲羅を持つウミガメまで現れた。
コイツも陽気に誘われたのか、ガッホっと大きく響くゲップなのかあくびをして海底に戻っていった。
最後はマダラウミヘビが海面から首を出して、泳いでは止まり、止まってはまわりを確認しながら優雅に日向ぼっこを楽しんでいた。
“啓蟄”とは春に土から虫が這い出る季節のことだけれど、海にも“啓蟄”があるのだろうか。
釣りはさんざんだったけれど、久しぶりに太陽の恵みを感じた一日だった。


んみゃーち。

んみゃーち→いらっしゃい
んまむぬ→おいしい
んまーんま→とてもおいしい
んぎゃまつさ→うるさいな
んびゃーいん→我慢できない

は、宮古島の方言。
矢印左側の原語には、ワープロが“間違ってんじゃないの”、と赤い波線をかけてミスを指摘してくれています。
もちろんミスではなく、現在も宮古島で普通に使われている現代用語です。
こんなに“ん”からはじまる言葉を持つ宮古島では、“しりとり遊び”が出来ないのだそうです。
そしてこの用語のただの一つも、すぐ隣の島石垣島では通じない。
石垣島でいらっしゃいは“おーりとおり”です。
こんな言葉一つの違いにも、八重山と宮古島の歴史が現れているのかもしれない。
八重山に暮らしているとたびたび耳にすることに、石垣と宮古は仲が悪い、ということがある。
石垣の人は宮古の人を計算高くケチだ。
だから石垣で商売をして儲けているほとんどが宮古出身の人だという。
宮古の人は石垣の人は見栄っ張りで冷たい、道を聞いてもちゃんと教えてくれないという。
石垣に住んでいて、道を聞いて教えてもらえなかった経験は無いけれど、確かに宮古島なら、聞いた場所まで案内してくれそうな勢いで話しかけて来る。
聞いた場所まで連れて行ってくれるのが宮古流、とすればたしかに石垣は冷たく写るかもしれない。
先日取材した宮古の人は、うっかり夕暮れ時に港を通ろうものなら、知り合いから飲みに誘われて逃げ切れないと言っていた。
なるほど“おとおり”文化のある宮古島らしいと思った。
それだけ宮古島の人々は情が厚いのかもしれない。
たしかに石垣島ではそこまで強く酒席に誘われることは少ない。
僕のような都会から移住した者にはその適度な距離が暮らしやすいのだけれど、宮古島流の“島の下町感覚”もまた捨てがたい。



あの世の正月。

石垣島は今日も正月、市内の商店は多くが午後から休みの看板が出ている。
新暦の正月、そして先月十八日に迎えた旧暦の正月、そして今日があの世の正月とされている“十六日祭”。
今年に入って三度目の新年を八重山の人々は祝っている。
集う場所は墓の前だ。
墓といってもごらんの通り半端な大きさではない、都会なら家の一軒や二軒ゆうに建てられる大きさがある。
ここに親戚縁者が集いそれぞれご馳走を持ち寄り、墓で眠る先祖とともに新たな年を一つ重ねたことを祝う行事だ。
内地にも法事とかお盆、彼岸などで縁者が集うことはあるけれど、こちらは故人を偲ぶ行事で、一緒に祝うというものではない、よね。
八重山には何事にも神が存在していて、暮らしの身近かな場面で神や先祖がたびたび蘇って来る。
いつだったかある島に切れば相当な額で売れるという木があり、その橋渡しを島の親分に頼んだナイチャーの業者がいたらしい。
親分はすぐに島のオバーに木のことを聞きにいった。
ところがオバーはあの木には先祖が宿っていると、切ることを否定した。
その木は今でも切られることなく残っている。
そのスジの親分でも越えない一線が島にはある。
美しさを守るということは、こと日本にあっては“貧しい”ことと同意語の場合が多い。
この島に住むようになってたびたび思うことだけれど、効率だけで人の暮らしの豊かさを測ることはできないな、と。
複雑な経済のことはわからないけれど、神や先祖を生活の中心に据えている人々の頑固さにこのごろ“すがすがしさ”を感じる。
昨日の気温が二十七度、今日は雨模様の十八度。
屋根を持たない墓の前ではブルーシートを天幕にして、“十六日祭”を祝っていた。
見ている方が寒くなる光景だったけれど、あの世の正月だから天気もこちらとは反対なのだろう。
あのブルーシートの天幕の中は、縁者だけが感じる、暖かい正月が迎えられていたに違いない。



宮古島の底力。

この十日間毎日のように宮古島に通っていた。
冬の前線に阻まれて悪天候が続いている石垣島で漁が出来ない為に,宮古島まで出稼ぎに行っていたのである。
途中友人の親子が遊びにきてくれたり、格闘家の佐藤ルミナが訪ねてくれたけれど、残念ながら石垣島の天気は回復していない。
宮古島へ出稼ぎのあいだ隙間の時間を利用して、平良(ひらら)にある公設市場に何度か足を運んだ。
コンクリート二階建ての簡素な作りの市場は、平均的な小学校の体育館の半分ほどの建物。
一階は半地下になっていて駐車場に入るような、少し急なスロープを降りてゆく造りになっている。
売られているものは、かまぼこや野菜類、正面中央の階段を上がる二階には、肉売り場と衣料屋さんが列ぶ。
いつ頃造られた建物か聞かなかったけれど、外見からはかなり古そうだ。
宮古島は石垣島と違い平坦な島なので、土地はたくさんあったはずなのになぜ二階建ての建物を、わざわざ穴を掘って半地下にしたのだろう。
南国のことだから少しでも穴を掘った方が、涼しく商品を管理できたのかとも考えたけれど、それならば肉売り場を一階に方が良さそうだし、と疑問は尽きない。
一五年前にバブルの嵐が吹き荒れたこの島は、島の隅々まで道路アスファルトで舗装され、隣接する島と島は大規模な橋で結ばれている。
現在は土木工事がやり尽くされてしまって、島の景気はどん底なのだとタクシーのドライバーも、飲み屋のオバンも嘆いている。
この公設市場もそんな時代に、建設関係の事情から地面を掘ってみたかったのかもしれない。
不必要な土木工事が沖縄の島々の景気のかなめだとすると、どうにもため息しか出なくなってしまう。
あくまで勝手な想像であるけれど。
便利なことはありがたいけれど自然破壊の問題は常につきまとう。
けれども携帯電話もインターネットも使って島で暮らしている、沖縄県民二年生の僕にそのことを語る権利は無いように感じている。
と、元都会人の片鱗が残る中途半端な感傷で沖縄の島々を憂いてみたって、この島で代々暮らしてきたオバーのパワーには屁のカッパなのである。
平良公設市場の広場でもやしの根を切ったり、島らっきょうの皮を剥きながら商いをしているここの使用料、一日なんと四十円。
この四十円さえ用意すれば、自由に自分の作った作物も加工した食品も売ることが出来る楽市楽座がここにはあった。
この文化度の高さに宮古島の底力を見た気がする。
でもなんで三十円ではなく、五十円でもないのだろう。


石垣市民まつり。

文化の日からスタートした明日までの三連休、石垣島は今日と明日の二日間“石垣島市民まつり”が開催されている。
市内中心の新栄公園には市民が参加した模擬店や屋台が列び、大きな特設ステージでは市民のバンドが、ロックからレゲーからもちろん三線までつぎつぎ演奏されている。
石垣の中心から北に五十キロ離れた平久保という集落からも、風船割りの模擬店が出店されていた。
一回三百円で五本のダーツをもらい、五個の風船に当たれば大きなおもちゃがもらえるゲームだ。
この模擬店の店主は市内で“八百屋”という焼き鳥店を営んでいるおじーとおばーが担当していた。
おじーは平久保出身なのだ。
“八百屋”という焼き鳥屋にしてなかなかなセンスの店名の“ワケ”が長い間気になっていた。
「まえには八百屋だったさ、あそこはよ。だから八百屋と書いてある看板があるさね。屋号を八百屋にすれば、看板がそのままつかえるさー。」
だから“八百屋”という名前の焼き鳥屋にした。とおばー。
きっと以前が肉屋でも本屋でも、きっとそういう屋号にしたということか。
こんなおおらかさが根底にあったから、今の石垣があるのかもしれない。
“こだわり”とは“こだわらない”というところに行き着くものなのかもしれない。
石垣島の底抜けさに、考えすぎる楽しみがどんどん失われてゆく今日この頃だ。
明日は市の目抜き通りのJAから730交差点まで、大規模なパレードが開催される。
沿道の居酒屋や商店ではパレードを見る観衆や参加者に、トイレを開放すると今朝の新聞に出ていた。
大都市では決して味わう事が出来ない、市民四万数千人の“顔”が見える文化祭は明日の夜花火があがるまで続く。
それにしても十一月なのに、石垣島ではいまだに祭りには“浴衣”ですから。



石垣島秋の味覚。

イカが釣れはじめている、らしい。
春に生まれたコブシメやシロイカ、アオリイカなどがそろそろいい大きさに成長してきたという事だ。
気温は天気がよければ三十度を超えているけれど、夜間の最低気温は二十四度くらいになってきた。
イカの成長は、島にも遅い秋が近づいている証拠。
島んちゅうにイカは秋の味覚なのだ。
今日も崎原さしみ店には五十センチほどのシロイカが列んでいた。
一匹八百円ほど。
シロイカは墨イカの仲間なので大きな墨袋を持っている。
島ではこの墨と一緒にイカを煮て、黒いイカ汁を作る。
だからうみんちゅうはイカを釣ったら、イカが墨を吐き出してしまわないうちに素早くこの墨袋の根元をひもで縛ってしまう。
こうしないとイカの値打ちが無くなってしまうからだ。
うみんちゅう一年生の僕に、イカは初めてのシーズンだ。
昨シーズンはイカが釣れすぎて浜値が安かったと、漁協の伊計さんは言っていた。
一度でいい。
浜値が安くなるほど、釣ってみたい・・・・・。

なつやにも毎夜ダイビング関係の人が来てくれる、のだけれど、このごろは釣れないうみんちゅうをからかいに来ているのではと思われる事もしばしば。
どこどこのポイントに大きなイカが泳いでいたとか、今日捕まえたとか。
そのつもりで翌日ゆくと、なぜかさっぱり釣れない。
“釣れません!”と電話すると、“イカも生き物、どこかで泳いでいるさあー”
そのどこかをおしえてくれー!
明日は店を休みにして夜釣りに挑戦してやる。
誰にも言わずに。


いまさら台風サンサン報告。

九月十四日から一五日に石垣島を直撃した台風十三号タイタンは、石垣島にして三十年ぶりの大きな台風だった。
風速は69メートルあまりに達し、翌朝市内の信号はことごとく破壊されていた。
気の毒だったのは信号機の高さに店舗を持つ商店やレストランは、風でへし折られた信号機がガラスを破って店内に突き刺さっていたりした。
港の駐車場に止めてあった車は風の通り道に吹き寄せられて団子状態になり、無傷な車は一台も無いj状態。
船の被害も甚大で港の中にはいくつもの船が沈没しているのが見え、何艘かのヨットはマストが折れていた。
島で暮らしていて台風を歓迎する人はおそらく一人もいないと思うけれど、台風準備に追われる港の人々から暗さを感じたことはなかった。
僕だけの勝手な思いかもしれないのだけれど、海の仕事の人に台風はつかの間の休息をくれたり、リーフの中に新しい海水を運んでくれる大事な行事、決して忌み嫌ってばかりの様には見えなかった。
15日も足の遅いタイタンの為の台風準備は、いつものときと何ら変わらないのどかなものだった。
しかしタイタンはでかすぎた、そしてゆっくり力強く風ですりつぶしていった。
僕も夜中に何度も港に船を見に行ったり、他の船のロープを繋ぎ直す手伝いをしたけれど、風速69メートルというのは風の壁だった。
風が鉄砲水の様に路地から吹き出してくるのが見える。
4wdの車でもその風を直角に横切る事が出来ないパワーなのだ。
市内では二日間停電し、水も断水した。
コンビニもマーケットも閉店した。
僕ら市民はともかく、観光のお客さんは大変だったと思う。
ホテルは光も無くエアコンもつかず、食事もままならない状態が数日間続いたのだから。
これほどの台風でも八重山では一人の死者も出なかった。
“観光客台風で餓死”なんて記事が紙面に踊ったら洒落にもならないところでした。
しかし信号器って意外とでかい。


8.13日曜日。

台風九号が通過した先週から石垣島は文句なしの晴天が続いている。
南側の海上から石垣を見ると風呂屋のペンキ絵でも、これほど空々しい青と白は使わないだろうと思われる空と雲が広がっている。
石垣の旧盆は八日に終えたけれど内地のお盆休みがピークを迎えて、繁華街や海には多くの観光客が来島している。
そんな観光シーズンさなかの昨日の日曜日、石垣島の多くの居酒屋は休みが多かった。
八重商が甲子園で二回戦に進んだ試合があったからだ。
午後五時に試合が始まる頃石垣の繁華街やその周辺の住宅街から人や車が消えた。
こう書くと文章上の誇張で”そりゃーないだろう!ちっちきち”と言われそうだけれど、事実なのだ。
”森の賢者の”鈴木さんは以前からの予約が七時から入っているので仕方なく店は開けるが、落ち着かないらしく六時55分までなつやでTVを観戦していった。
夫婦でやっている居酒屋”八百屋”では店は開けたものの、調理担当のおじいが試合終了の八時半まで行方不明だったため開店休業だったとか。
常連の新城さんも今回ばかりは借金してでも十六日は甲子園に行くのだと。
決勝戦に近くなればなるほど島んちゅうのこころはヒートアップしている。
勝っても負けてもこの興奮状態から抜け出るのには、相当な時間と泡盛を消費せねばならないだろう。
Xデイがいつ来るか。
島ナイチャーも人ごとで入られない。






アンガマー

旧盆入りした六日から、石垣島では各地域でアンガマがはじまった。
アンガマはグショー(来世)から訪れた精霊達の一行が旧盆に返ってくるお祭り。
ウシュマイ(爺)とンミー(婆)がファーマー(子孫)を引き連れて、招かれた家々を訪れ踊りや問答を繰り広げる。
アンガマを招いた家では窓も扉も開放して、外から誰でもその様子を見ることが出来る。
昨日僕が見た真栄里の友利さんのお宅には、ウシュマイ、ンミーとファーマー三十二人の(三十二霊かな)一行が訪れつぎつぎに踊りと歌を披露した。
踊りと踊りの合間には現世の人がウシュマイとンミーに「あの世にはクラーは有るの」とか「ンミーはなぜ色が黒いの」などあの世についての質問をする。
その質問にウシュマイとンミーが冗談を交えて楽しい答えを返す。
のだけれど、言語は全て方言なので僕らないちゃーには全く意味不明。
見学しているウチナーはウシュマイとのやり取りでどっと湧くのだけれど、全くついて行くことが出来ない。
後ろで見ている島のおばー(現世の)が孫に、今はこんなことを言っているんだよ、というのを盗み聞きしてホッホーと納得する。
こんなのんびりしたやり取りが、一件のお宅で約一時間も繰り広げられ、六日だけでもこの精霊達は四件から五件も回るらしい。
昨日の石垣の最高気温は33.2度、いくら精霊でも疲れるだろうとよけいなことを心配してしまう。
ウシュマイとンミーは各お宅で出された泡盛やビールを、ストローであの小さな口元に運んで飲むのだけれど、お酒をストローで飲んだらまわりますよ!
ちなみにウシュマイとンミー、なぜか汗は顔の表面にはかかなくて、首筋から滝の様に汗が流れていた。
お面の下は大変なことになっているのでしょう・・・ではなく来世の顔の下には汗だくの現世があるのかしらん。
こんな明るい先祖が住む来世を、身近にかいま見ることが出来る八重山は、やはり”あの世”に一番近い土地なのかもしれない。
このアンガマ、八日に先祖を送るまで続けられる。


六月もあと一日。

カーチバイが吹きはじめてから石垣の天気は晴天が続いている。
おとといの小浜島のカイトはやはり佐藤さんだった。
長年風のスポーツをしているから当然だ、とは片付けられない何かが佐藤さんにはある。
石垣島の気象庁でもこうは正確には当てられない。
だいたい石垣の気象庁なんて晴れの日でも曇りの予報を出す。
とりあえず悪い方に予報しておけば、万が一晴れても誰も文句を言わない。
晴れの予報で雨でも降ろうものなら、狭い島の事何を言われるかわかったものじゃない。
と、気象庁は思っているから弱気な予報になる。
と、島の人々は考えている。
佐藤さんによると今日は小浜島で、12でジャスト・アンダーだったとのこと。
弱気の気象庁もこの時期は外さないと思っているのか、予報にはずらりと太陽のマークが並んでいる。
カイトにも釣りにもいい季節になった。
釣りはこの風になってからは島の北側に行くことが増えてきた。
安定した南風なので石垣港からは時計回りに進路を北に取る。
追い風なのでしぶきを浴びることもなく、船は全回で走らすことが出来る。
目的地の川平までは約40分だ。
朝の順光の空にはエアーブラシで描いたような雲が水平線まで続いている。
よく見ると高度によっていろいろな形の雲があることに気がついた。
夏の雲といえば入道雲しか思い浮かばなかったけれど、きっとそれぞれに名前があるのだろう。
六月もあと一日、今年も半分が過ぎて行った。
七月の雲はどんなだろう。
明日から雲も少しだけ注意してワッチすることにしよう。


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