”なつや”のワインセラーその2。



まーそんなこんなで重機屋さんからエンジン付きのカッターを借りてきまして、
切りはじめた訳です。
すると謎の空間から今は使われていない階段が出現しました。
階段の上には厚くほこりをかぶった女性もののサンダルと、少女の履くサンダルが列んで発見されました。
いえいえ、けして恐い話ではないのですよ。
てーげーな沖縄のことですから、階段くらい何も考えないで埋めますよ。
本当にそれ以外のものが出てこなくてよ・か・つ・た。


15センチのコンクリートを六時間かけて切りました。
階段も途中から撤去して、出た廃材は袋で三十五袋、軽自動車で二台分。
それを思うとグランドゼロは幾ばくだったか、それだけでもテロの無意味さが実感できます。


なんとか棚までたどり着き、見えるところだけワインを置いたりして、岩渕シェフは嬉しそうです。



扉も付きました、何だか店にサウナが出来たようですが、一応温度管理も出来る酒蔵です。


現在ワイン600本、日本酒30本、芋焼酎、麦焼酎、その他のスピリッツと泡盛200本をストックしております。
このブログ見た方に限り、あなたのお酒あずかりますよ、大事に“なつや”でおあずかりします。
やれば何とかなっちゃうものです。

”なつや”のワインセラーその1

潮見表が11月になっていた、月日は十一月になっているのだからあたりまえだ。
十月の後半から酒の仕入れのために二週間ほど東京に行っていたせいか、どうも身体の中のカレンダーが狂っている。
しかも今日は立冬、石垣住民同士の挨拶も“さむくなったさー”が連発される、それでも衣類はあいかわらずTシャツに島ぞうり。
ついこのあいだまでマーケットの利き過ぎのエアコンが心地良かったのに、この頃は“寒い”と感じる。
南国石垣もその程度には冬が近づいてきている。
十月に三年目に入った“なつや”、今度の課題は“ワインセラー”ときめた。
この二年間“なつや”で飲まれたワインは、少なく数えても1500本は下らない。
いままでは店のスペースの都合もあり日本酒などと一緒に、白ワインも赤ワインも摂氏5℃の冷蔵庫で保存していた。
冷え冷えの白ワインをぐびりと飲るのも悪くはないのだけど、赤ワインの味が開くのに時間がかかりすぎた。
5℃のワインが15℃前後になる頃には、一本飲み終えてしまうのだ、島んちゅうの飲み方だと。
そこでもう一本となってもまた5℃からスタートなので、コイツも15℃になるまでは待ちきれない。
仕方なくワインクラーにお湯を入れて暖めるお客さんまで。
そんなこんなで“なつや”としては、きちんと温度管理できるワインセラーが課題だった。
当初は百本程度入るワインセラーを購入しようと考えていた。
ところがあまりに店が狭すぎて、ワインセラーを置いておく場所が確保できない、ワインセラーの大きさは60×60×180センチ。
ドミトリーのある二階に置くことも考えたけれど、可能ならお客さんに直接触れて選んでもらいたい。
店内に置くなら壁に埋めるしかないと考えた。
以前から“なつや”の壁の向こうに、もう一つの空間があることを思い出したからだ。
その空間は以前エアコンの工事を頼んだ時に、その存在は確認していた。
しかしその空間へは15センチもあるコンクリートの壁を壊すことからはじめなければならなかった。
その空間は写真の壁の向こうにある。


イタメシ。



東京に暮らしている頃、“イタメシ”が嫌いだった。
はじめに断っておくとイタリアの料理は大好きである。
特にナポリの薄手のピザ、モッツアレラチーズ、数々のワイン、ルッコラ等々上げればキリがない。
お隣のフランスの料理より僕の体調には合っている。
“イタメシ”が苦手なのだ。
いつ頃から生まれたのか知らないが、スパゲティーにスプーンが付いてきて、いったんくるくるしてから食べる、あの感じが初めから苦手だった。
だめですかホークだけで食っちゃ。
茹で加減がアルデンテだとか何だとか、どーだって良いのである。
大の男が出て来た麺を指先でつまんで、茹で加減にうんちくたれるなど愚の骨頂。
“イタメシ”屋で男同士が一杯やるようになってから、日本はなにか違うところに曲がた気がしてならない。
そもそも“イタメシ”屋の看板を上げていながら、メニューにPASTAとPIZZAしか無い店がたくさんある。
知り合いの“シェフ”は創作イタリア料理と称して、スパゲティーとカレーを出していた。
その彼とどこかでメシを食った時、出て来たサラダにそうめんのようなスパゲティーが入っていて“これはカッペリーニ、ですね”と店員に言って、同席していて火が出るほど恥ずかしかった経験がある。
“カッペ”と言えば僕の時代は田舎者のことだぜ、美味けりゃ黙って食えよ。
女性にも責任はある、“イタメシ”屋は押し並べて小さい店が多いのに、隣近所に気遣いなくタバコふかす女性が多い。
“イタメシ”屋で食後にタバコをすうことがなにか達成感でもあるのだろうか。
まあ“イタメシ”屋が日本に現れた頃には、すっかり一杯飲み屋が似合う年頃で、乗り遅れたひがみも無いわけじゃないが、スパゲティーを“パスタ”と呼ぶのにも抵抗がある。
しかし、しかし石垣島のイタリアンレストランは素晴しい!
東シナ海を臨む高台にあるこのレストラン、僕も時間が有るとよく行きます。
テーブルは広々、誰もカッペだのアルデンテだの無駄なうんちくをたれない。
たれるやつは連れてゆかない。
肩の力を抜いて目の前の海からとれた素材で、イタリア料理を手軽な価格で楽しめる。
もちろん僕の出で立ちも島ぞうりにTシャツですよ。
石垣には大人の文化が息づいています。

こどもの日。



こどもの日の五日、石垣気象台の発表は一日“雨”の予報だった。
結果は写真の通り、快晴の過ごしやすい一日だった。
水着だけで十分泳ぐことが出来た。
風も七八メートと手頃、鯉のぼりも優雅に空を泳いでいた。
八重山気象台は実に発表が上手い。
連休中高い旅費を払ってこの南の離島まで来てくれる観光客に、“晴れ”と発表して“雨”が降ったらどうなるか。
きっといい印象は残らないだろう。
昨晩“なつや”のお客も、スタッフと話すきっかけは天気の話題だった。
“明日は雨の予報なんですよね、石垣島。”
“そうですか”
“京都から家族で来たんです、私も母も石垣初めてなんです。”
“でも今日はいい天気でしたから良かったですね”
“夕方の便で、今着いたんです。”
“はーぁ・・・”
“母に一度南の島の青い海を見せてあげたいんです、だから来たんです。”
“雨が降っても海は青いですか。明日は三島巡るんです、むりですか・・・”
“・・・”
“母は初めてなんです石垣も、南の島も。”
“でも、予報だと明後日の六日は回復するようですよ”
“六日は朝一番で那覇に行くんです。”
“本島もきれいなビーチがたくさんありますから、きっと見れますよ蒼い海”
“那覇は美ら海水族館と国際通りで買い物をしなくてはいけないので、いろいろ”
Yahooでは六日の那覇の天気予報は“雨”だ。
遠い遠い内地から高い費用と時間を使って石垣に来て、しかも数ある居酒屋の中から“なつや”を選んでくれたお客様です。
出来ることなら僕らも、お母さんに、八重山の蒼い海と南国の高い空を見てほしい。
心から毎回そう思っています、祈っています。
だけれど天気ばかりはどうにもならない、あたりまえだけれど。
でも石垣気象台は絶対に敵を作らない“術”を心得ている。
悪く予報していて、良くなる分には誰も文句は言ってこないってね。
でもね、天気が良いって知ってるのならそう発表してください。
大変ですから、忙しい時間に天気のことでお客さんを“なだめるの”。
解ってもらえますでしょうか。


波照間の看板。



よくよくこの看板を見ていただきたい。
好天に恵まれた昨日、雑誌“Sol-faモの取材で波照間に日帰りをした。
何度か波照間島に行く機会はあったが、昨日ほどの凪ぎと好天は日は初めて。
石垣港を出た高速艇サザンクロスは、30ノット近いエンジン全開で波照間に向う。
黒島を左に見て新城島を過ぎたあたりから船は進路を左に変える。
いつもだとこの辺から外洋の大きなうねりが出始め、船外のベンチはしぶきでずぶ濡れになる。
しかし昨日は圧雪した斜面を滑るように高速艇はスピードを緩めることもない。
正面の水平線には波照間島が間近に見え、右には仲の御願島までが霞んで見える。
俄うみんちゅうにはまだ行き着かないあこがれの島、遠くからかいま見ただけでもなにか神秘的な気分になる。
石垣の海人なら誰でもあたりまえにゆく“仕事場”でも、今の自分には未知の聖域だ。
朝八時二十分発の一便で波照間に行き、四時四十五分発の最終便までのつかの間の波照間だったけれど、日本最南端の島には美しい人の暮らしが残っている。
砂浜には漂流物もなく、珊瑚のバラスが敷かれた住宅地の路地にはゴミ一つ落ちていない。
石垣が敷きめぐらされた屋敷のまわりは、様々な花が植えられて群青の空と赤瓦の屋根にマッチしている。
ついついシャッターをたくさん切ってしまう、そんな写真を撮っている時この看板を見つけた。
部落の中心にある公民館前の広場にある、島を案内する看板の一説である。
いいなぁ。
この案内板だって昨日や今日出来たものでは無いはず、証拠にはこの看板の上に設置されているシーサーには雀の夫婦が巣を作っていた。
きっと島の人ならこの間違いに“みんな”気がついているはず。
無駄なお金をかけて直したってしょうがないし、そこだけ紙を貼るような無粋なこともしない。
原稿書いた人が間違えたのか、看板屋さんが間違えたのか知らないけれど、そっと受け入れる役所と住民は“えらい”。
誰も波照間島が“面積12.46m2”なんて思いませんから。
もしこの看板を見てクレームを言ってくる“馬鹿”がいたら、なんくるないさぁーと言ってやろう。


寝たくない、な。



17日、くうす味噌と沖縄豚のえごま巻きwith青パパイヤ、島にんじん。
18日、グルクンの稚魚の南蛮漬け。

東京への出張から石垣島に帰ってきて十日、毎日寝るのが惜しいくらい色々なことがおきる。
トライアスロンのボランティアもあり、カヌーでのマングローブツアーのガイド。
宮良湾でシュノーケリングの講習、“千夏”の整備に幻の島ツアーガイド。
かさねてこの十日間の間に、那覇からと宮古島、そして埼玉と山梨から知り合いが訪ねて来てくれた。
“なつや”用の魚と、漁協に卸さなければならない魚を釣りにゆく時間が取れなかった。
しかたが無いのでこの一週間は努めて夜釣りに出ている。
だいたい夕方の四時に港を出て、“なつや”から呼び出しがかかるまでは海上で釣りにはげむ。
石垣島で夜釣りはあまり経験が無いけれど、昼の魚とは違う種類が釣れるのでそれはそれで“おもしろい”。
季節もだいぶ暖かくなってきているので、夜風に吹かれて海から石垣島の夜景を見ているのは気持ちがいい。
とは言っても南海の孤島のこと、港を出ればもうそこは太平洋や東シナ海への外洋。
もし船に何かトラブルが起きれば帰れない人になるか、明るくなるまで誰も助けには来てくれない。
島からどれだけ離れるかが判断のしどころだ。
釣れると教えてもらった所だとしても、昼と夜では海の環境も違う。
釣れれば釣れたで続けたいし、ぴくりとも竿先から反応がないと、まわりが暗いだけに無用な妄想が頭を駆け巡り始める。
よく思い浮かべるのは、突然足下の海がせり上がってきて、中国や北朝鮮の潜水艦が浮いてこないかな、とか。
潜水艦はないまでも鯨でもやばいな、などなど。
夜の海は暗室の中で黒いアスファルトに糸を垂らしているように感じるくらい、景色に反射してくる光が少ない。
先週の出張中体を使うことがなかったので、気分だけが高ぶって夜なかなか眠れなかった。
島に帰って来たら身体ばかり使っているので、泡盛飲んだらてきめんに眠くなる。
明日からは昭文社から六月に発売される“Sol-fa”という雑誌の撮影が週末まで入っている。
飲みたいし、起きていて釣りもしたいし、島の撮影も楽しいし、悩ましい季節が島にやって来た。


東京は寒ッ。

四月の二日静岡は全国に先駆けて真夏日を記録した。
日本最南端の八重山でもまだ二十七度を超えていないのに。
そんなニュースを聞いた翌日東京に出張した。
短パンにアロハシャツ、足下はワラビーを履いて、石垣から羽田への直航便に乗った。
さすがに東京に行くのに“島ぞうり”は遠慮した。
機内放送で東京の天気は“曇り”気温は“一五度”だという。
東京は桜が満開のはずで、昨日は夏日のはずだったのに。
ニュースを鵜呑みにして上着一枚持ってこなかった。
羽田空港から京成線で東銀座まで、車内の人は皆いまだに冬の装い。
真っ黒に日焼けしたおっさんが、真夏の格好で電車に乗っている姿は、四月とは言えだいぶ目立っている。
通勤客には迷惑な大きなトランクとカメラバックを担いで、せまい地下鉄の階段を上ると正面は歌舞伎座である。
四時を少し回ったばかりだというのに築地はもう薄暗い、しかも寒い。
ぽつぽつ雨まで降り出して来た。
ライトアップされた歌舞伎座がまぶしい分、まわりがよけいに暗く感じる。
昼の部と夜の部の入れ替えなのだろう、道路は和服で着飾った絢爛豪華な夫人たちで溢れている。
この街の人達から見たら、あきらかに今の自分は浮いている。
今だけはホームレスのほうがまだ街に馴染んでいる。
数年前までは目と鼻の先に事務所があった土地柄、どこで誰に“発見”されるかもしれない。
願わくばこのまま地下鉄に乗って家まで帰ってしまいたかった。
しかしそう出来ない事情を作ってしまっていた。
二十分後にここで家族と待ち合わせを約束していた。
トランクの中には一枚の服も入れていなかった、家に帰るのだから必要がない。
リモアのトランクの中には二日前に取った、みやげの“もずく”が二十キロ詰まっているのみ。
甘栗屋の釜からもれてくるささやかな温もりに助けられて待っていると、背中から娘の声が聞こえた。
「とーさん、寒い」。
若い子たちが使う“サムッ。”という言葉の使い方のがよーく実感出来た。
ちなみに翌日には平成になって初めての雪が東京に降った。
僕もおかしいかもしれないけれど、地球環境もおかしいぞ。



岩渕シェフと和泉元彌の関係。



今日の先付け。
オオタニワタリのおひたしと島らっきょうの塩漬け。


近ごろとんとテレビとご無沙汰であり、特にワイドショーは疎遠なので芸能界で何が起きているのか知識が無い。
そんなおり“なつや”の正面にあるホテルピースランドの前に、マスコミとおぼしき人達が群れている。
こんな島で何事かと岩渕シェフに聞くと、氏曰く、今夜能の公演をするために和泉元彌が石垣に来ていているという。
観光地とは言えそこはやはり離島の悲しさ、狂言師一人にこんなにマスコミが集まるのかと感心する。
と岩渕シェフは、さにあらず今和泉家は何かと借金問題やらでマスコミを賑わしているらしく、その取材だろうと事情に詳しい。
そうこうしていると、ピースランドの前にタクシーが横付きされた。
マスコミが一斉に、マイクとカメラを持って車に走りよる。
“なつや”のある美崎町は夜の繁華街なので、お日様が出ている時間はふだんじつに南国らしいゆるい空気が流れている。
その街角に突然のこの騒動、岩渕シェフは仕込みの手をとめ道路を横断すると野次馬の輪に加わった。
ワイドショーの世界が目の前で展開しているのがよほど嬉しいのか、道ゆく知り合いに“和泉元彌が出て来るらしいんです”と言い回っている。
焼き肉“石垣島”のご主人には軽く無視され、スナック“マンタ”のママには“誰ね、そのひと”といなされている。
居酒屋“栄”の若旦那は普段の人の良さで三十秒ぐらい、氏と立ち話をしてから“仕込みがあるから”と道路を渡っていった。
お前もだろ、岩渕シェフと言ってやりたかったが、こちらも今日は夕方からダイビングを予定していたのでシェフをほっといて港に走ってしまった。
彼がナマ和泉元彌と元彌ママを見ることが出来たかどうか、まだ聞いていないが、仕込みだけはちゃんとすましていることだけを祈るのみ。
そういえば数年前にある雑誌の撮影で和泉元彌さんとママにご一緒したことがある。
そのときの感想は“ママ、そこまでいうなら、あんたが撮れば”だった。
島ゾウリの向こうは米原ビーチ、毎日ゆらゆらしてます。


今日の先付け、27と28日。

二十七日の先付け。
 今年初めてとった天然モズクの酢の物。
二十八日の先付け。
 島らっきょうの塩漬けとオオタニワタリのおひたし。

こんな小さな島にも人事移動がある。
“なつや”を開店して約一年と半年、店を通じて知り合いになり、休みの日には遊びにいったりする友人が出来た。
ところがここに来て転勤等で石垣を離れるという話が複数入りはじめている。
春は別れの季節ではあるけれど、この小さな“土着”の島でしばらく暮らしているうち、世の中に転勤ということがあることも忘れていた。
なにかにつけて“ウチナー”“ナイチャー”と分別する風土の中で、島で暮らすことは時に自分が異邦人であることを強く意識する。
同じ日本であって、そうでない独特の文化の中で暮らせていることが,また楽しく刺激的でもある。
そんな異文化の中で暮らしていて、でもそこを去る時は“負けた時”、と狭い感覚で意識するようになっていた。
でも“人事異動”というスマートな形で島に来て、そして島を去って行く人達もいることをすっかり忘れていた。
なぜ忘れていたか。
島で海人などの土着の仕事をしていると、あんまり大きな組織と関わらなくても暮らして行けるのです。
島の人達には警察も銀行もなじみの薄かった時代が、ついこないだまで続いていたように思う。
例えば江戸の庶民にとって、侍はいるけれどまー日常は関係のない存在、いるけれど庶民の知恵として“いないことにしておこう”的な、それでも困らないし。
たとえば波照間や鳩間島に警察があっても、捜査情報は“オバーのうわさ話”のほうが早くて正確かもしれない。
しかもこんな島で駐禁取り締まってみてどうなるのかってね。
だーれも迷惑していないし、庶民は庶民で暮らしにあったルールで暮らしているのに、御上は島も道頓堀も同一線上でしか解釈できない。
いやいやこの島で暮らしはじめて、人の暮らしって以外にシンプルにできるんだって感じているものですから、お侍様もシンプルに考えたら良いのにと思ったまでです。
決して下克上の進言などではないので誤解のなきよう。
島の人口の割には御上が多いので、参勤交代も都会より目立つということでしょうか。




チバナさん2。

いつものようにチバナさんは九時に“なつや”に訪れた。
幸いチバナさんお気に入りの、左から二番目の席は空いていた。
“ナマ、いっちょう!”
いつものフレーズが店内に轟く。
アルバイトさんが泡の表面張力をこぼさぬよう、細心の注意でビールをカウンターまで届けます。
おまたせしました。
“はいはい、いつもよ、酔ってるから、わっけわからんで、ごめんよ”
??????。
カウンター内の僕とアルバイトさんが顔を見合わす。
“チバナさんが、しらふだ”。
“なつや”創業以来初めてのことに、店主としてどう対応していいものか思いが駆け巡る。
“マスター、いつもはなつやに来る頃はよぉ、わっけがわっからんけど、すまんね”。
いえいえ、どーも、今度はこちらが恐縮する番だ。
“メニューわ、あった?”
チバナさんはビール以外に注文したことが無いので、“なつや”のメニューがどんなものか見たことが無い。
“焼き鳥三本と、ネギね”。
しらふのチバナさんはもの静かに、焼き鳥をつまみに一杯目のビールを飲み干し、静かに二杯めを注文した。
店内はあの酩酊していないチバナさんがいない、“いつもの”時間がすぎていた、BGMは松坂慶子が歌う“十九の春”だったか。
豹変したのは二杯目ビールがまだ三分の一を残す頃だった。
“きみらよぉ、カウンターの中であんまりしゃべると、みんな聞こえるどぉ”
“みよちゃんもよぉ、いつもとちがう○※▲わけ!・・いつっもじゅうぎょういんが変わる店はダメさぁ”
“なつや”に“みよちゃん”というバイトさんがいるわけではなく、チバナさんはどの店に行ってもお気に入りの女の子は“みよちゃん”と命名しているらしい。
今日のバイトさんも、チバナさんに市民権を得られれば即日“みよちゃん”に昇格する。
ビール二杯に焼き鳥まで注文したチバナさん、今日ばかりはワンコインですむわけも無く、料金を聞いて独り言ともつかない“島くtuば”でぐちっている。
手のひらより大きながま口から、五百円ほどに畳まれた千円札といつものワンコインをはじめていただいた。
ここまでの時間じつに三十分有ったかどうか。
“人”がこんなに急速に酔うさまを見るのは初めてかもしれない。
二杯目のビールを三分の一残し、いつものチバナさんに”なつや”で変身し、いつものように美崎町に消えていった。
ありがとうございました。

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