漢字で書くと”鯛の餌”と書くのだそうですが、調べると”鯛の餌”どころか”鯛が餌”というのが実態の生き物だった。
名の表す通り鯛と密接な関係を持っている虫で、多くは鯛の口に寄生し強いあごと足で口の内側にかじりつき鯛の血液をいただいて暮らしているのだと。
日本全国の鯛の仲間に分布しているらしく、私が漁をする石垣でもレンコダイという鯛を釣るとまれにこの”タイノエ”が口からのぞいていることがある。
タイノエには毒も無く鯛の身に寄生しているわけではないので食べても人体には何の影響も無く、漁協のセリで値段が安くなるということも無い、でもどうも私は好きになれないので見つけるとペンチでつまみ出すことにしている。
大きな方がメスで小さな方がオス、必ずメスが口に近い方に陣取り、オスはノドの奥に小さく吸い付いている。
大きさはメスが三センチから四センチ、防波堤でよく見かけるフナムシを連想してもらえれば近く形もよく似ている。
口の粘膜にしがみつく力はなかなかのもので、ペンチで力まかせに外そうとすると胴体が壊れても離れない。
コツはペンチで七対ある足のなるべく奥側をつまんで端から順番にだましだまし外す、マジックテープを剥がすあの要領が一番うまくいく。
タイノエの足にもマジックテープに似たカギがあるらしく、そのカギがレンコダイの口のヒダヒダに絡んでいるのかつまみ出すとき手にもマジックテープのときと同じベリベリな感覚が伝わってくるのには未だに慣れないけど。
ひょっとするとコイツをこのままハリにつけて落としてみたらいい餌になるかしらんとも思うけど、素手で触るのはつらいのでポイと海に返している。
個人的には世に存在してくれなくてもよい生き物なのだけど、タイノエにしてみれば大きなお世話で「あたしら夫婦があんたにナニしたわけ」と問われれば何も答えることは出来ない。
なにしろこの夫婦の宿り主たるレンコダイは水深三百メートルに生活している。
こちらが無理に出向いて釣っているから日の本に出て来るわけで自然に人と出会う環境ではない。
太陽の光は水深二百メートル位までしか届かないそうだから夫婦は暗闇の生活だ、しかも一度宿り主に住み着いたらおいそれとは移動も出来ないだろう、たぶん。
コバンザメならおこぼれをだけいただき、寄らば大樹の陰を決め込み、逃げも隠れも出来るけれどタイノエにその自由は無い。
運悪く宿り主が釣られてしまえばその運命は一蓮托生、運命共同体だ。
タイノエの世界感といえば光さえ届かない狭い鯛の口の中が全てで、食事は一生鯛の血だけがたより、それでも夫婦一つがいで約しく暮らしてきたのかと考えるとけなげな感じもしなくない。
鯛からすれば血を吸われるばかりではなはだ迷惑な存在なのだろうけれど、でも人がこの世に現れる以前からタイノエと鯛の関係はあっただろう、それでも鯛が絶滅してないことを思えば人には分からないお互い必要な関係を保ってきたのかもしれないね。
魚の”女王”鯛の美しさ、その秘密は以外にもタイノエの夫婦が支えてるなんてことがいずれ解明される日が来るのか来ないのか。。
過日、と言っても二週間ほど前の週末上野文化会館で珍しいコンサートが開催された。
タイトルは”シンフォニック・ガラ”。
タイトルが示すようにクラシックの殿堂で音楽の”お祭り”をしましょうという企画だ。
指揮者は大友直人氏、アレンジが千住明氏、この二人がナビゲータを務めてシンフォニー・オーケストラの演奏でポップスを歌うというもの。
メインゲストは稲垣潤一さん、スペシャルゲストにつのだ☆ひろ、さらに女性ボーカルとして辛島美登里さんに沢田知可子さん。
ポップスの舞台にオーケストラが参加することは珍しくないが、オーケストラの舞台にポップスのシンガーが上がることはあまり聞かない。
私くらいの年代なら一度はドライブのときに、稲垣潤一さんのカセットテープをガチャリとカーステレオに差し込んだ経験もあるはず。
まだCDが無かった頃の「夏のクラクション」、硬質で透き通るあの歌声思い出します。
辛島美登里さんの「サイレント・イブ」沢田知可子さんの「会いたい」は私には少しあとの世代、そんな横糸を縦糸で紡いでくれるのがつのだ☆ひろですね。
ボジョレーヌーボが解禁された木曜日石垣島から那覇経由で羽田へ、モノレールと山手線を乗り継いで直接上野駅へ、公園口に立つとまだ四時半なのに周囲はもう薄暗い。
どんな撮影のときもそうだけれど会場やスタジオに入るときは、まだ体のなかに残る石垣の空気を押し隠かくす努力が必要になる。
関係者入り口から控え室に降りてゆくとオーケストラ独特の管や弦の生音独特のリハーサル音が伝わってくる。
控え室を探し当てるとちょうど☆ひろさんはリハーサルを終えて舞台から降りてきた、専属カメラマンとしてはリハに間に合えないのは貴重な撮影チャンスを逃したことになる。
曲目を確認すると「my way」だという。
☆ひろさんには珍しい曲ですねと問うと、本人も初めてだと答える。
英語に明るい☆ひろさんが譜面をとって詩の内容を説明してくれる。
カラオケボックスが無い時代、誘われた飲み屋で他の客がこちらの迷惑顧みずエコー効かせくわえ煙草で一人酔っていたあの曲「my way」だ。
私は未だにカラオケが好きになれない、原因はあの頃のあのおやじ達のトラウマかと感じることがある。
とはいえ今日の「my way」はそんな次元ではない。
And so I face the final curtain
人生の幕を私は迎えようとしている
I've lived a life that's full
波乱に満ちた人生を私は生き抜いた
Regrets, I've had a few
後悔なんてほとんどないよ
But then again too few to mention
でもとりたてて言うほどの人生でもない
I did what I had to do
やらなきゃならないことを私はやってきた
And did it my way
歌詞を翻訳する☆ひろさんの声が詰まる、この曲の何かがアーティストの琴線をつま弾いている。
「なんだかさ、この詩は漢字で書かれたお経みたいで、一つ一つの単語が絵のように見えちゃうね」
石垣に戻って改めて「my way」を聴きなおした。
☆ひろさんの境地には遠く及ばないけれど、あの頃のおじさん達と年齢だけは同じになった。
雨の日と火曜日は、石垣島は珍しく朝から絶え間なく雨が降っている。
天気予報が一日中雨の予報でもいつもはどこかに雲の切れ間が見えるもの。
今日はその切れ間がどこにも見ることが出来ない。
猛烈な台風13号が昨日観測史上初の885hpを記録してフィリピンに上陸した。
太平洋高気圧が西に張り出していたため台風は左に反れ石垣島には来なかったけれど、例年の天気図なら八重山を直撃してたかもしれない。
それを思えば今日一日の雨などありがたいくらいである。
そんな中昨日から越谷の整骨院の先生が先月に次いでダイビングに来てる。
今年還暦の先生ともう15年の付き合いになってしまった。
空港に着いて先生の第一声は”週末日光にトレッキングだからょ、今からそっちが楽しみで”。
年は片方だけがとるものではないのに、バイタリティーでこちらが負けている。
”それはそれは・・・”と表面は濁すしかすべがない。
食事どうします?
”あきたょ”なつや”はよぉもっと沖縄料理がよぉ”
ごもっともな感想で先生今年で三年目続けて石垣に来てくれているけど、”なつや”以外で ほぼ 食事をしたことが無い。
なぜなら本人が”オレなんてなに食ったってわからねぇんだょ、いいんだよ”なつや”で”
と店主からすればまことにありがたいことをおっしゃっていたからなのですよ。
Rainy Days and Mondays always get me down.
カーペンターズの名曲”雨の日と月曜日は”の一節です。
「雨の日と月曜日はいつも気持ちがくらくなる」てな意味でしょうか。
曲の方は女心と愛を歌っているので整骨の先生と”なつや”の関係には全く相容れないのです、でも今日は一日雨なのです、そして悪びれず悪態をつく先生は今日ダイビングなのです。
ちょっとだけ石垣の神様はぼくの見方かなと、そんなことを思う”雨の日と火曜日は”。
冗談はともかく願うのは明日からの晴天とこのブログをご本人が読まないことですが。
今晩はご指名を受けた岩渕シェフと石垣島ディープポイント散策だそうです。
シェフも先生とは”なつや”の前身”越谷店”の頃からの知り合いだから、もう七八年の仲だ。
ぼくといえば海は案内できても夜の町はからっきしget me down。
Rainy Day and Tuesday. 今日のチキン台風は定休日、”なつや”はここのところの悪天候で魚が無いので臨時休業。
誰も訪ねてこないことを願いつつ気兼ねなく大音響でTVを見ることにする。
なにげに静かでよい火曜日です。
とまとめようとしたところに先生からダイビング終了の電話、沖では雨が降ってはいなかったそうです、運の強いおじさんです。
日頃から連ドラには近づかないよう心がけている。
ウミンチュウの仕事は昼夜を違わず天気次第で、居酒屋もあるので決ったその時間にTVの前に座れる確約など無いからだ。
一話でも見てしまえば本編より刺激的な次の予告が目に入り、頭の中は妄想が妄想を生んで次も必ず見てしまうよう作られている。
つまりはその手に乗りやすい性格を持っているということなのだが。
それでもそのドラマが楽しめたのならいいが、これが前回の回想と説明映像で今週の本編は全体の半分なんて、なんとも重箱の上げ底ドラマや番組に少ならず裏切られてきたからだ。
重ねて我が家にはTVを録画する機械が無い。
デジタル化を前に今更VHFでもないしDVDは高いしどうせならブルーレイだけどその前に地デジ化が先だ。
そんなこんなの昨今ナノだけど、二ヶ月前につい”龍馬伝”を見てしまった。
こうなるのは自分がよく承知している、でもtoo late。
数日後にはデジタル液晶TVにブルーレイセットが通販で届いていた。
で、昨夜の龍馬伝”いろは丸事件”をみて気がついた。
海上法では自船から右に見える船が優先となっている。
ドラマ中では紀州藩明光丸はいろは丸の右舷にぶつかっている、この状況ダケ見れば回避義務はいろは丸ある。
海難審判上不利なのはいろは丸ということになる。
明光丸には見張りの当直がいなかったらしいけれど、いろは丸側が明光丸より小回りが利く小型船だったことも考慮すれば、一方的な紀州藩の非と言えない。
でも当時の市民感情は大藩に勝利した海援隊を支持した。
もちろんこの事件が数年早ければいろは丸の賠償などにべもなく紀州藩に一蹴されていただろう。
事故の事実の検証よりもいかに勝つか、それが政治なのかもしれない。
慶応三年の四月大政奉還を半年後に向かえる紀州藩に、自らの正当を主張する力が無かったそれが結果につながった。
こじつけますけど尖閣諸島の問題ね、石垣島でウミンチュウしている一人として言わせてもらえれば、いまの日本は紀州藩と一緒ですか。
あちらの国は海上ではあってはならない左からぶつかってきてるようにしか見えない。
漁業無線では連日のように石垣島近海まで中国、台湾の漁船が入っているから気をつけろと言っているけど、なに気をつければ良いのでしょう。
2t3tの小型船で一人で操業している八重山の漁師が出来ることと言えば、自然災害から自分を守ることで精一杯です。
つまりは、釣りに行くなということですか。
沖縄も日本であるなら政府は補助金でぶら下がらせてばかりじゃなく、漁獲高で自立できるようにしっかり外交してほしい。
いらない道路いくら整備したってウミンチュウの漁獲増えません、地デジのアンテナも買えないよな。
民主党が与党になったつかのまの参議院で惨敗、しかも一年足らずで代表が二人目。振り返れば小泉政権から安倍さんに変わったのが2006年の9月、あれからたった四年で日本の総理大臣は五人目。政治のことはわかりません、言えません、ただつまりは日本には指導者たる人材がいないということを図らずも露呈してしまったということなのではないですか世界に。
名古屋場所初日が参院選。
相撲取りが博打するでしょう、相撲そのものが勝負事なのに。
稽古して飯食って寝るのが仕事で、ごっちゃんでお金が入るしかも大半が十代から二十代。
思い違いの一つや二つあって当たり前でしょう、なぜ”そこ”までゆく前に誰かがなんとか言ってあげる組織が失われたのか。
プロレス社会だってもう少しましだと思うけど。
そもそも文部省にお墨付きをもらうという、その根性が失敗だ。
官僚役人に興行の機微や相撲を楽しみにしている市井の気持ちが理解できるわけが無い。
”相撲ごっこ”で泥だらけになるなんて経験は皆無の輩の集まりなんだから。
当たり障りの無い優等生が集まった大相撲なんてつまんないと思うけどね。
力士の評価は土俵の上だけでいいんじゃない、意外のことは一般人には関係ないし。
ちょっとした裏表の違いはあるだろうけど、土俵周りのあの”砂かぶり”に座ってる人の何人かは役人関係じゃないの管轄官庁の力で。
もし今ぼくがコンビニの前に座っている女子高生らしき少女に注意でもしようものなら捕まるのはこのおじさんでしょう。
めんどくさい時代ですね。
普天間だっていろいろあるでしょう駆け引きは、でもどうせ移転できないなら、まずは近所の学校とか病院とか、謝苅の谷に今もすんでいる人たちにまず差し伸べる手の方がよほど思いやり予算だろ、と。
数ヶ月前からあの”つぶやき”ってのに手を出しはじめたもので、思考回路が140字Maxの愚痴が多くなってしまった。
昨夜越谷の接骨院の先生から「ブログは更新されないしよぉ、ページは消えてるし怖くて電話も出来なかったよ」と温かくもなんだかという電話がありました。
「九月にもこっそり石垣行って確かめようと思ってたんだぞぉ」と、石垣まで来て”なつや”が無いほうがもっと怖いでしょう。
いやいや考えたくはないですがね、友達ならもしものそんなときにこそ電話くださいよ。
一杯おごらせますから。