石垣島“なつや”が三周年をむかえた9月27日、銀座の割烹“奈津”が閉店した。
1981年の開店と聞くから27年間の営業だった。
ぼくが奈津に通うようになったのは、広告関係のクライアントに連れて行ってもらったのが最初だった、たしか85年か86年頃だと記憶している。
もう二十二三年の月日が経ってしまった。
今年六十五歳をむかえた奈津の旦那もまだ四十代そこそこだったことになる。
元相撲取りの旦那は身長が百九十センチ近くあり体重は当時でも九十キロ前後はあったはず。
耳はカリフラワーのようにつぶれていて、一目してデカイと感じたものだった。
店に空席があっても一見さんと気に入らない客はバンバン門前払いし、予約は当時一切取らなかった。
気に入らない客との武勇伝は数しれないが、大事に至った話は一つも聞いたことが無い。
他の土地ならいざ知らず銀座一丁目界隈で、包丁持った元相撲取りとけんかするバカは幸い居なかったということだ。
旦那の功績ではなくあの界隈の客の品格も一役買ったということになる。
ってな話を本人にしようものなら間をあけず“ばかやろう!”の罵声を浴びることになる。
旦那の枕言葉はどんな時でも “ばかやろう”で、それは今日現在も現役なのだ。
そんな言葉数に不自由のある旦那ではあるけれど、店内はいつも和やかな空気であふれていた。
どこかのTVに出てくる頑固だけが“売り”のラーメン店とは質もスケールも違っていた。
辮天という舟口の地酒が売りで、魚はその日に使うだけを旦那が出向いて毎朝築地の市場で仕入れていた。
活け〆の穴子は身が厚く白焼きが美味かった、醤油はつけるけれど本山葵の香りを生かす程度にね。
三浦半島佐島産の蛸は皮を引いて、白身だけがフグの刺身のように並べられている。
身が透けるほどの白身を豪快に箸ですくって、奈津自家製ポン酢にモミジおろしをそえる。
元相撲取りの真骨頂“ごますりちゃんこ”はボリュームがあるのに、なぜか雑炊までぺろっといけた。
ちゃんこまで手を出した晩は決まってタクシーの世話になる日だった。
冬の楽しみは自家製“塩辛”。
釣好きの旦那が釣に出かけた翌日だけに供される一品は運だけがたよりだ。
塩辛だけに二三日後も旨いはずだが、塩辛というより“生烏賊の肝和え”というべきあの一品を翌日に残すほど奈津の常連は無知ではない。
通年通したマグロの美味さは云うに及ばず、“のれそれ”に春を感じ“ほうれん草のごまあえ”やちょっと小腹の“すいとん”に遠い懐かしさを見つけたものだった。
“やっこサラダ”も美味かったなー。
美味いものが消えてゆくというのはつらいなー、なんともつらい。
銀座も遠い街になってしまった。
旦那、女将さん、ありがとうございました。