彼とは小学校からの同窓ですので、もうかれこれ四十五年の付き合いになります。
当然ぼくと同じ年でありますから、かなりの年齢です。
その彼がこのたび結婚しました。
今だから書きますが半年前まで結婚など一生しないと,公言してはばからなかった輩です。
したがって正真正銘の初婚です、戸籍に×はありません、四十五年の付き合いですからそこはぼくが保証できる。
脱サラしていきなりおでん屋を開業したのがかれこれ十五六年前、それから今日まで彼の人生はおでん一色。
良い昆布があると聞けばその日のうちに北海道に飛び、翌週にはかつお節を求めて九州に飛ぶという日々。
ウイークデーはほとんどのおでんタネを一人で手作りし、閉店後は店舗のカウンターをベッドに寝泊まりするといった生活を十五年も続けてきたヤツです。
とても常人では考えられないタフさです、変人といえなくもない、おでん馬鹿ですね。
その甲斐が実り今ではなかなか予約の取れない有名店に名を連ね、おでん屋といえば“denモといわれるまでになった。
とはいえ結婚など考える対象ではなかったはずです、女性から見れば。
そんなそんな彼なのに、縁とは異なもので、この年にして相手が見つかった。
名前は直子さんという、年齢は書かないけれど一回り以上も年下、しかも相当な美人さんである。
世辞ではない!そこはぼくの前職の名誉にかけて保証してしまう、きっぱりと。
披露宴は“den”にもほど近い四谷のお店を貸し切られておこなわれた。
東京で八重山タイムとはゆかないので、すこし早めに到着するよう心掛けた。
日曜夕刻の四谷飲屋街は閑散としている、店の所在を聞きたくても人影がない。
遠くにやたら声の大きい一群を見つけたので、これ幸いと道を訊ねるべく走りよったのは、噺家さんでも、大関昇進の関取でもなかった。
もうすっかりできあがった新市だった、本人に聞くのが一番たしかなのだけれど。
「新市、denのカウンターじゃ二人は寝られないんじゃない?」
悪友は何を言っても許されるのが悪友たるゆえん。
「だいじょうぶ、でぇーす。おでん間に向こうとこっちで寝られまぁーす」
普通このような会話は冗談ととるべきだけれど、新市に限っては真偽がつかめない、つまりやりかねない。
相当嬉しそうだが、だいぶ飲んでいる。
その後同窓会のような披露宴は盛り上がるだけ盛り上がった、次にこのメンバーが集まれるのは誰かの葬式になるなとは同級生の談。
なにはともあれこれから第二ステージに入った“おでんやden”を贔屓にしてあげてください。
何とぞよろしくお願いします、美味しいです。
ついでに“なつや”もね。