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村林友安がゆく。



村林友安はカイトボーダーである。
普段は“トモ”と気楽に呼んでいる。
彼はぼくを“エンドーさん”と敬称をつけてくれる。
気分としては“気楽にイコーゼ”なのだが、年が二回りも違うのだから当然と言えば当然なのだ。
いくら気持ちだけ若くても、アスリートにそう映っていない。
トモに初めて会ったのは2002年に、マウイでおこなわれたレッドブル。
思い起こせばトモとはこの六年間に色々なところに同行した。
静岡県の御前崎から始まり。マウイに数回、台湾のパンフー島、ドミニカ共和国にも、そしてここ石垣島にも数度訪れていた。
冬でも温かく安定した風の吹くここ石垣島は、トモが毎年冬の期間カイト合宿する場所だった。
当時御前崎に住んでいたトモを撮影するためには、渋滞の頻発する東名高速を250キロドライブする必要があった。
東京からだと片道で5時間は有に必要とする。
一日海の中で撮影した気持ちだけ若いカメラマンに、帰路夜間の高速道路の運転はだいぶきついものがあった。
そんな時トモが彼女を連れて石垣島に移住すると宣言した。
どうせならマウイにしてくれ、と思ったが、すぐに考えは変わった。
石垣島なら羽田から直行便で三時間弱、時差も無い分気楽に行くことが出来る。
何しろ携帯電話が通じるし、“¥”もレートの変動も無く普通に使えるのだ。
そしてハワイに負けない温暖な気候と碧い海がある、カイトボーダー“トモ”を撮影するのにこんなよい環境は無い。
そんなこんなで、めぐりめぐって、ぼくまでがトモにくっついてくる形になって石垣島に移住してしまった。
それから約三十ヶ月トモはトモの課題を、石垣島の海と風にぶつけ切磋琢磨して来た。
そして今回トモは新たな課題を発見し、乗り越えるため、再び御前崎に帰ることになった。
いいのである、賭けと破壊無くして創造は無い、と多くの賢人は言っている。
破壊をいくつ通ったかが“男”を育てると言った先人もいた。
気持ちだけ若いカメラマンは、今度も御前崎について行きたいのである。
しかし残念ながらトモの六年と、ぼくの六年は重みが違った。
このごろはすっかり夜目が利かず、島の平均時速三十キロの運転に慣れてしまい、とても東名高速などで運転できそうも無い。
こんなところで賭けにでてしまうと、おじさんの場合は写真どころか、家庭の破壊になってしまう。
カイトボーダー村林友安、“悠々として急げ”。
もちろん上記はかの開高健の言。

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