今日も好日(口実?)。



石垣島の晴天は今日も続いている、海は穏やか、風は涼として爽快です。
最高気温32度。
二日前まで内地に帰省していたので煩雑な事務仕事がたまっている。
テーブルの上にはけっこうな数の郵便物が積まれている。
先月撮影した雑誌の贈本が一冊あるものの、残りはカード会社の情報誌と請求書の山だ。
ここは心を強くして、一つ一つ開ける勇気を持たなければならない。
水道料金に電気代、電話の請求書・・・etc.
上半期の源泉税の納期が昨日までと通知するはがき?
どうもこのうず高い請求書の山は、この数日間の留守中だけで溜まったものではなかった。
市民税は・・・・先月末で納期が過ぎている!
金額の項目には天文学の数字かと見間違うケタが列でいる!!
四期に分割されているのに、一期分が5ケタの数字だ!!!
やはり開けなければ良かったと後悔する、心を強くするとは心臓に悪い。
血圧にもいい影響はなさそうだ。
すべては見なかったことにして、釣にゆこう。
としたがスタッフにたしなめられた。
石垣島は公共料金の徴収が近年やたら厳しく、一月でも遅れようものなら即督促の係員が訪問してくる。
昔ながらの“てーげー”でやってきたら未納者が増えすぎて、もろもろ各社大変なようだ。
しかたがないので、この中では一番心臓にやさしい金額の税務所だけ済ませて、午後二時から釣に出た。
西表に夕日が沈む頃までねばったものの釣果は悲惨だった、市民税も納めない輩に石垣島は魚も釣らせてはくれない。
魚が釣れればちゃんと明日払うつもりだった・・・。
明日の晴天も約束された大きな夕日を左舷に見ながら、ぎりぎり暗くなる前に石垣港にすべりこんだ。
明日は市民税が先か釣が先か・・・天気予報は釣日和なのだけれど。
ちなみに夕日の写真は走る船の上から携帯電話のカメラで撮影したもの。
そうだ、車が車検だ。
南の島の楽園も裸では暮せない、なぁ。


石垣ベストシーズン。

今年沖縄県は六月の十七日頃に梅雨が明けたらしいと気象庁は発表した。
石垣島はその数日前から今日に至るまで、連日いい天気が続いている。
沖縄本島よりも四百五十キロ南西に位置する石垣島は、本島より数日早く梅雨が明けていたのだろう、すべては本島中心に観測されているのでしかたがない。
石垣島では梅雨が明け夏至に至る頃“カーチバイ”と呼ばれる、強く安定した南風が吹く。
カイトボーダーには一年に一度の、待ちこがれた天からのプレゼントだ。
対して海人や船関係の仕事の人々には、南から大きな風波が入いってくるので、少々厄介な時期ではあるけれど、“カーチバイ”が落ち着けば八重山にも本格的な夏が訪れる。
その後海は決まってべた凪になる、海人には待望の季節だ。
八重山で“うりずん”と呼ばれるこの頃が石垣島の初夏にあたる。
“うりずん”とは“潤う頃”という意味らしく、この言葉を口にするこの頃は島の人の顔がいつもより穏やかに見える。
亜熱帯の八重山ではあるけれど年中暖かいなりに四季はあり、今時分は一回目の稲作も収穫し終え、パインやマンゴーも最盛期を迎えている。
海はどこまでも青く蒼く碧く、空はどこまでも青く蒼く碧い。
海と空との境界線には八重山の島々がアクセントになり、高く伸びた積乱雲はコントラストに富み、見る者に様々なイマジネーションを与える。
海を渡ってきた風は方向も風力も安定し、強い日射しを避けて木陰に入ればどんな汗も心地良く引いてゆく。
♪はぁーれた空、そぉーよぐ風ぇー、みぃなとぉー出船のぉ♪
と歌われたのは石垣島に違いないと強く感じるほどに、この時期の石垣島はベストシーズンだ。
“うりずん”を迎えた石垣島はハワイに勝るとも劣らない、と思う。
(少々気が弱いのはハワイに知りあいが多いので、数で突っ込まれると面倒くさいから)
“うりずん”は関東地方が梅雨から開ける頃までもうしばらく楽しめる。
“うりずん”が過ぎれば八重山は本格的な盛夏に入る、その頃には台風も本格的にやってくるだろう。
都会人には厄介な台風でも八重山の海の為には、台風も無くてはならないものだ。
なにはともあれ、弊店のシェフもこの時期はクーラーいらず、木陰で十分だそうです。


業務連絡その2。

金子様
先日の写真をメールで送りたいので下記にメール下さい。
携帯電話はダメですよ、写真の容量が大きいですからね。
max@masafumiendo.com

金子一家が、来タァー。



前略、下記のことがしたいのでよろしく。
 1,綺麗な珊瑚をみたい、シュノーケリングで。
 2,十二歳の娘がスキューバ体験をしたい。
 3,石垣島天文台で土星が見たい。
 4,ついでに蛍も見られるとなおいい。
 5,父ちゃんは釣がしたい。
 6,そこそこ釣れたら大物も体験したい。
 7,イタリアンレストラン“コンキリエ”でパーティーがしたい。
 8,石垣牛のBBQが食べたい。
 9,“なつや”も一度は入れてほしい。
10,最南端の島波照間で星が見たい。
11,辺銀食堂で食事をして、ラー油を購入したい。
12,かーちゃんのショッピングの時間もそこそこほしい。
13,オッと忘れていた、干潮時にしか現れない“幻の島”もね。
14,オッともう一つ石垣島の焼き物体験も。
                   以上よろしくお願いします、金子。」

上記を五泊六日で消化してほしいと大親友金子一家は要望してきた。
ふつうの場合だったらもう少しのんびりしたらと進めるところなのだけれど、この一家にはこれを要求するだけの理由がある。
過去二年間に三度来島して、三度とも台風と遭遇してしまったからだ。
東京近郊に住まいを持つ金子一家が家族三人で、石垣島に三度来るにはそれなりの出費がともなう。
大人だけならともかく、小学生が休みの時期は旅費も高騰する。
南国石垣島の青い空と碧い海を見る為に、これだけの犠牲をはらってはるばる来ているのに、三度とも台風にぶつかればこのくらいのことは石垣島に突きつけたくもなる、その気持ちはよくわかる。
 えっ?実はもう石垣島はあきらめようと、前回の家族旅行は大阪UFJにした、そりゃーそうなりますわな誰も何も言わない。
といいますか、よくぞ四度目に挑戦する気持ちになりましたね、偉い!
石垣市民として深く感謝します。
といういきさつで我が“なつや”コンベンションビューローは、スタッフ総出で上記達成プロッジェクトを立ち上げ、6月28日から7月3日までの五日間の晴天を祈った。
結果は金子一家の情熱に石垣島の神様も答えてくれ、見事な一週間を過ごすことが出来た。
金子一家の愛娘千夏もその進水から三年目にして、初めて自分の名前を冠した船“千夏”に乗船ことが出来た。
我が“なつや”コンベンションビューローとしては、残念ながらNO10のオーダーだけは消化することが出来なかった。
また近いうち待っていますね、また来てね。


わ〜たしは、やってない、けぇぱっくだ〜。



いや、ねっ、今更説明も必要ないのですが“岩渕シェフ”です。
襟足が長くなったので切ってくれ!というポーズに見えますが、彼はこの時の記憶がないそうです。
そう酩酊状態です。
かといって彼が酔っているのをいいことに、気がつきにくい後ろ髪を切ったということではありません。
もしそういうことであるならば犯罪になります、たしかに本人が“切ってくでっ!”と言った結果なのです。
証人も沢山いたのでここは揺るがない事実です。
時は連休前最後の休日を予定していた前夜です、カメラのデーターによると23日の午後零時近くとなっています。
翌日は一週間ぶりの休みを控え、店のお客もいつもより早く引け、重ねて遠来から来島していた友人も明日帰るという晩でした。
当然に飲みますかという気分になりますね、たいていの酒好きなら。
だからぼくは遠来の友人とすでに仕事を終えたスタッフと飲みはじめた、いつものことです。
カウンターの中のシェフは早く帰ったお客のおかげで、もうあらかた片付けも終わっています。
このときの彼の心境としては“客は早く帰ったのに、こやつらが今からはじまったらオレは帰れないじゃないか”と考えたはずです。
いやたしかにそのことは彼の頭をよぎった。
もし、彼が今更そのことを“そんなこと思いません”と言ってもどうにかなるものでもありません、なぜならぼくはその空気を感じてしまったし見逃さなかった。
そんな空気を察したときリーダーはどうすべきかと言えば、当然“一緒に飲もう”という以外に道はない。
素直にそこの輪に入ることが出来るシェフだったら、きっとこのような写真は残らなかったはず。
“自分車なんで”。
知ってますよ!明日休みなんだからゆっくり自転車で帰れば、それともドミで寝て帰ってもいいし、そもそも代行だって1000円じゃん。
それでも“自分車なんで、明日免許の書き換えもあるし”、ここいらへんに彼の妙な“意志”が見えますね。
免許の書き換えの前夜は酒飲んじゃいけないわけ。
いったんすねた子の心を開かせるには、やはりアルコールの力を借りるのが一番。
“遠くからの友達も明日帰っちゃうし、ね、軽く乾杯だけ、形だけつきあえば、ね”
ビールジョッキになみなみ満たした酎ハイを一口なめた瞬間、彼のかたくなだった心はいとも簡単に開かれた。
そこからはジョッキの酎ハイを5杯続けざまに一気。
そして三十分後はこの有様、翌日の貴重な休みはなんの記憶もないまま一日寝ていたそうです、もちろん免許の書き換えにも行かず。
それを聞いたスタッフは一様に遠いところを見る目になっていました。
せっかく免許証の写真に影響ないところを切ってあげたのに・・・。

今朝の長野での聖火リレー、あの青い服の人を見ていたらオームを思い出した。


新人シナボン。

“なつや”の新しいスタッフです。
名前は勝俣 姿。
“姿”と書いて“しな”と読むのだそうです。
本人曰く次女に生まれたので、そのまま“姿”という字を当てたのだそうです。
名付けの親はおじいさまだそうです、なかなかのセンス!
そういえばこのあいだ石垣島で“久志勝也”さんという方にお会いした。
“はじめまして、美崎町で焼き鳥屋をしているエンドウです”
“あーどうも、自分は串カツ屋です”
“ヘーそうですか、今度行きます、どちらですか”
クシカツヤが名前だと、お互いに会話がかみ合うまで五分ほど必要とした。
ご両親はそういう語呂になることに、気がつかないで名前つけたんですかね、思い切って訊ねてみた。
答えは意外なもので、つい最近まで島には串カツなるものが存在しなかったので、誰にも何も言われなかったのだと。
関西で生まれていたら、きっと小学生の頃はちゃかされた名前だよな。
小田原の友達には“佐藤敏雄”もいたなー、“砂糖と塩”。
なにはともあれ“しな”ですが、なにか呼びやすいニックネームがほしい。
名字の“かつまたさん”では、ちょっと固い感じがする。
“しな”→シナモン→シナボン→天才シナボン、おっ“シナボン”呼びやすいぞ。
と気楽なお茶の時間に話していたわけですよ、どこにでもあるファーストコンタクトの軽いコミュニケーションとして。
そしたらですふといなくなった岩渕シェフが、(いや彼がいなくなろうとそこに居続けようと)何かが起きるとは誰も何も思っていなかったのですよ。

ジャーン! ←本人が自分から発したジングルです。
“今日からジョンが、シナボンのパパなのだぁー”
ものすごく飛ばしている岩渕シェフなのですが、理由が何に起因しているのか。
雇用主としてはKY(こんなコードも島ではとんと聞きませんが)な、シェフのご乱心をたしなめるしかないのですが。
“大丈夫です。大学のときのサークルのあだ名が”変人ほいほい“って、なんだか変な人を集めちゃうみたいなんです”
・・・・・それじゃ、しょうがないね・・・・。



このごろの岩渕シェフ、春も近し。



いやぁ、ね、取り立てて何をいうつもりはないのです。
髪型のコスプレは彼の趣味、といいますかもうアイデンティティといえます。
今回の断髪式も急に決まりました。
前夜“なつや”の常連さんからのリクエストがあったからです。
「岩渕さん、そろそろ新しい髪型見たいなー。それとももう出来てるんじゃない?」
やめて下さいよーと言うシェフはまんざらでもないまなざし、意味ありげな笑みを口元に残してうつむいたりしています。
見せてよーというお客、何にもないですよーと引っ張るシェフ。
こんな会話が飛び交う居酒屋は、ようするにヒマなのですね“なつや”。
(ぼくも経験がありますが、気に入った居酒屋はつぶれない程度に、ヒマなほうが常連としては居心地の良いものです。)
翌日あらためて見るとなるほど、そろそろ切り頃に髪が伸びている。
このところ雨続きだった天気も今日は少し回復模様、空には青いところも見えている。
言葉だけ嫌がるシェフを、言葉だけでなだめ、すかし、ちょっぴり脅す、いつものお約束を経て屋上に上がります。
手にはバリカンと石垣市指定の“燃やすものゴミ袋”を持って。
自ら上半身裸になったシェフ、寒いですよエンドウサーン!
薄い胸板をつつむ運動不足の細い腕見ると、雇用主としてはちょっぴりやるせない気分になるのだけれど、彼のお腹は十分過ぎる栄養過多を物語っている。
(ちなみにシェフは、自称サーファーです、あの腕でどうやってパドリングするのだろう)
髪のデザインと写真はぼくの役割です。
これがなかなか難しい、何しろやり直しがきかない。
しばし被写体を吟味する気持ちでシェフの頭を凝視するも、ついあまりのばかばかしさに笑いがこみ上げて考えがまとまらない。
五十前後のおやじ二人が亜熱帯の石垣島のビルの屋上で、裸でゴミ袋かぶって髪を切っているのである。
普通に考えて今時の日本の景色ではない。
シェフの顔を見ていたら疲れたので、ふっと目を外したら、目の前のホテルピースランドの窓からこちらを見ている顔がいくつか。
あの方達はどんな思い出を石垣島から持ってかえったのだろう。

”なつや”の鶏達。



養鶏を始めて一月半、だいぶ鶏も増えました。
この鶏達は石垣空港近くで大規模に養鶏をしている方から、一羽300円で分けてもらった。
当初は十羽で合計3000円。
どの鶏も生後二年近く経ち、商業的な採卵には採算が合わなくなった鶏達だ。
鶏は生後210日頃産卵のピークを迎え、この頃はほぼ毎日一つの卵を産むのだという。
生後一年を過ぎると徐々に数が減りはじめて、産卵率が75%を下回ると養鶏場としては採算割れになるらしい。
十日に七個も産めば立派じゃねーか、と思うのだけれど、それを許すとあのマーケットで買える安価な卵は手に入らないのだそうだ。
鶏自体の寿命は十年を越えるらしいので、その5分の一で役割を終えてしまうとはなんとも切ない話だ。
しかしそんな鶏達もですね、自然な地べたで飼ってあげると、また卵を産み出すのです。
むかし農家の庭先で飼われていた鶏が産む、箸でつまんでも簡単に割れない、しっかりした黄身の卵を。
という予定だったのですが、はじめの十羽がなかなか卵を産んでくれなかった。
ほぼ一日2、3個の割合、このままでは地主の大濱さんに“年貢”も納められない。
エサが悪いのか、冬にさしかかり気候が災いしているのか、なかなか答えが見いだせない。
そんなとき隣の畑で“つぼ草”を栽培している彦田さんが、「広すぎだね」こんなに広すぎると運動ばかりして卵に栄養いかないと思うよ。
ほっほー、なるほど、そんなものですか。
ならば増やしましょうとなりまして、現在いっきに43羽。
はみ出した3羽は雄鶏で、これは養鶏場では不要なので無料でもらったもの。
こいつらのおかげで現在全て有精卵。
それから一月が経ち、日々により変動はあるものの、今日は白い卵が10個に紅い卵が7個。
(白い鶏が産んだ卵は白、紅い鶏が産めば紅になります)
現在白30羽に紅10羽なので、産卵打率は白33%で紅70%。
おかげで卵と糞の“年貢”も無事納められるようになったのです。
採算をまったく考慮していない、美味しい“なつや”の卵であります。


野底マーペ。



今年最後の三連休、石垣島にはたくさんの観光客が訪れた。
おかげさまで“なつや”もゲストハウス“夏屋”も、そしてレンタルバイクも、さらに“なつや”ファームも加わり“やった気になる”三日間になった。
愛艇“千夏”だけは強風と高波にはばまれ動くことは無かった。
“なつや”ファームも鶏が二十二羽になり、卵も毎日コンスタントに十個ほど産まれている。
昨夜アルバイトのあっこちゃんは賄いで、生卵を二個もごはんにかけ一度にたいらげた。
収穫が目に見えるのは楽しいが、まだぼくは卵にありつけていない。
“なつや”で使う卵を自家卵だけで賄うためには、後数日分のストックが必要だからだ。
事件はそんなのんびりした連休初日の23日の夕方におきた。
ゲストハウス“夏屋”の宿泊客Fさんは、秋田から来た一人旅の女性。
レンタルバイクで北部にある“野底マーペ”にトレッキングに出かけた。
彼女の趣味はトレッキングで、石垣島に来る前はカナダで一年半暮らした経験の持ち主。
南国石垣島の標高282メートルほどの山をトレッキングする彼女に、特に注意も必要と考えなかった。
最初に彼女からぼくの携帯に着信があったのがたぶん午後も四時近くだった。
電話は鳴り彼女の番号が表示されるも、電波が悪いのか声が伝わってこない。
そんなことが数回続いた後やっと声が聞こえた、「道に迷い返れない」。
その後何度電話をしても通じなくなった。
ぼくは野底マーペに登ったことが無い、虫が苦手なのだ。
知らなくともまずは近くまでは行かなくてはならない、後二時間ほどで日没になる。
野底マーペまでは市内から約三十キロ、車での移動中にマーペに詳しいエコツアーのインストラクターに電話で道を聞く。
インストラクターの説明は詳しすぎ、土地勘の無いぼくにはかえって分かりづらい。
こんなときはやはり地元を良く知っている巡査に頼むのが一番と思い、110番に電話をかけると、電話は那覇のセンターにつながりさらに要領を得ない。
「イシガキのことはイシガキに電話してくださいねぇ、番号は・・・」
八重山署も大変だった。
「あなたの名前は、ハァー生年月日は、いま何歳」
「いやぼくのことではなくて、今女性がマーペデですね・・」
「いやぁそこ聞かないと、本官もねぇ、住所は、あなたの」
「バイクの番号分かる、色とか特長とか、バイクは誰の所有」
「そんなことより、女性がですね、一人で、日没が、ね」
という会話が15分も続いている間にマーペの登山口に着いてしまった。
とりあえず名前を呼びながら二十分ほど山を登っては見たものの、その間も警察からの要領をえない電話がかかるのでいったん下山。
茂みの間から見える空はうっすらと紅くなってきている、そこに現れたのが野底の林道からはみ出さんばかりの大型の消防車。
レスキュー隊は偶然にも知り合いの川満隊員、見上げるほど高い運転席から颯爽と降りるとザイルと懐中電灯、無線機を下げてきぱきと山に入っていった。
その後海上保安から電話が入り、さっきの八重山署と同じ会話が五分ほどあり、これからヘリを飛ばすという。
川満隊員が山に入ってから十分ほどして、八重山署の警官が十名ほど駆けつける。
「あー消防が入っている、そうね。じゃー本官達はちょっと様子を見ようか」
「だけどよエンドーさん、石垣で海の遭難はあるけど、山の遭難はめっずらしいさー」
満月が耿耿と見えはじめたころ、川満隊員から発見の一方が入った。
十分ほどで川満隊員とFさんが元気に下山してきた。
いやーよかった、よかった怪我無かった、と事情聴取する警官に囲まれるFさん。
「ありがとうございました。発見してもらえなかったら山で一泊寝る覚悟は出来ていました、ただ」
ただ?
「クマが出たらどうしようかとばかり考えていました・・秋田もカナダにもクマがいて・・」
「・・・・八重山にクマはいなからさぁー、まぁ石垣でいい思いでができてよかったさー」と能天気なのは警察官。
暮れてゆく林道でテキパキと片付けをする、消防隊員の川満さんが頼もしく見えました。


中央のとんがった山がマーペ。

”なつや”直営農場。

もう十一月も残すところわずかだというのに。フィリピンの東には台風23号と24号が二つも発生している。
そのためなのだろうかこの一週間石垣周辺は風が強く、波浪注意報が引き続き出ている。
釣りにも行けず先週の金曜日から船が出せない、波の高さ予報が四メートルなので“千夏”では少し不安がある。
幸いこの二週間はガイドブックの撮影が入っていて、天気がよくても一日釣りに出ることは出来なかった、“不幸中の幸い”といえば幸い。
とはいえ撮影は午前中で終了する日もある、このところ運動不足で酒ばかり飲んでいるので体重が気になっている。
石垣のようなゆっくり時間が動く島に住んでいても、貧乏性ばかりは治らないらしく、ちょっと時間が出来るとじっとしていられない。
撮影もおとといで終了してしまったし。
天気予報は明日も明後日も波は高いとのこと。
どうすりゃいいんだ!、考えても眠れない。
仕方なく店の前にハーブのプランターなんか作ってみたけれど、すぐ終わってしまった。
芽が出るのはだいぶ後だし、暇つぶしに水ばかりあげていたら、スタッフからハーブは乾燥が大事と注意を受ける始末。
頭のなかのもんもんは大きくなるばかり、だったのだけれど今週はきっと運勢の星回りがいい。
今回の撮影で知り合いになった“島藍農園”の大濱さんが、農園の一部を自由に使ってもいいと言ってくれた。
最初は野菜でもと考えたけれど、思い切って鶏を飼ってもいいかと聞いてみた。
大濱さんは農園で染め物用の藍を育てているので、鶏糞をもらえるなら良いとの返事。
このタイミングを逃すことは無い、鶏糞でいいならなんぼでもさしあげますよ。
もし足りないようなら、もう、何ですよ、あっちこっちから集めてきますです。
そんなことなら私も協力しますと岩渕シェフ。
きもちだけでも君のだけはいらない。
という訳で“なつや”にこのたび自家農場が出来ました。
当面は卵用の鶏を安全なエサで育てて、地鶏の卵を取ります。
数日後から“なつや”の卵は平飼いの自然卵をお出しできるようになることでしょう。
借りた土地は百坪ほどあるので周辺で野菜を育て、店でも使いエサにも出来るでしょう。
いずれは地鶏を自家用で飼うことが出来れば、“なつや”の焼き鳥も一段と美味しくなります。
乞うご期待。


こんなハウスの後がありました。



二日目には草も刈り屋根もつけました。


現在彼女達は鶏舎のなかの草と虫だけで満腹の様子です。

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