たぶんこの人のことは以前触れた気がする、たしか二年か三年前。
はじめは“なつや”にお客としてきたのです。
カウンターの一番手前、入口に近いところに座って、マッキントッシュのノートパソコン(そうあのリンゴマークの)を広げて一人で呑んでいた。
べつに不思議な光景ではなかった、一人でダイビングにやって来る男性にこのタイプは少なくない、今日撮影した水中写真を肴にちびちびやるのである。
経験上店としてこのタイプに声をかけるのはタブーである。
パソコン=ビジネスマンと直線に結びつけて、“お仕事ですか”などとお愛想をむけるものなら爆弾を踏んでしまう。
「これね、今日ボクが撮った写真、ニセアカホシカクレエビにヒレナガネジリンボウ、そしてこれ、これなんてミドリリュウキュウウミウシしかもベイビー!マスター見たことある?」
「石垣島来てマンタ追っかけてるうちはまだ本数少ない人達だよなっ〜、ねっ、ねっ!」
なぜかこのタイプはマクロ写真マニアが多いのも特徴だ。
だから彼、谷口譲(仮名)が弊店を訪れてくれたときも、極力触れないよう心掛けていた。
爆弾を踏んでくれたのはカウンターで同席した常連のおじーだった。
「えっ君カメラマンなの、見せてよ、えっなに、仕事があれば石垣島で暮したい、よし!ワタシが仕事紹介してあげる」
かくして谷口譲(仮名)はその一ヶ月後那覇を引き上げて石垣島に越してきた。
略してしまえばこんな感じだったのだけれど、最初から彼がカメラマンと言ったわけではないらしい。
よく聞けば当時48歳の谷口(仮名)はいろいろ人生あったけれど、何時かは海の写真、それもウインドサーフィンの写真を撮って世界を渡り歩き、それを生業として暮したい。
故に今はお金のために土木作業をしているけれど、自分の志は本気だと切々と本気まなこをこちらに向ける。
そこまでいわれればぼくも聞んわけにはいかない、“写真の経験は?”。
「いやね仕事の経験はないんスけどね、写真は永いですよ撮りはじめて、大丈夫!」
爆弾としてはマクロマニアよりたちが悪い、そう思わざるを得ない。
けれど考えてみればぼくも齢五十にして漁師になりたいなどと、それは突拍子も無い夢を持って石垣島に来ている、人のことが言える資格はない。
谷口(仮名)はあれから三年、土木作業でお金を貯め先週石垣島に写真事務所を起ち上げた。
51歳になった彼は今毎日“なつや”二階のチキン台風をスタジオ代わりに料理の撮影を勉強している。
年はいくつでも本気なヤツは夢を夢では終わらさないもの、何でもやってみなけりゃね。
応援するぜ!谷口譲(仮名)。