つのだ☆ひろが涙するとき。

 

過日、と言っても二週間ほど前の週末上野文化会館で珍しいコンサートが開催された。

タイトルは”シンフォニック・ガラ”。

タイトルが示すようにクラシックの殿堂で音楽の”お祭り”をしましょうという企画だ。

指揮者は大友直人氏、アレンジが千住明氏、この二人がナビゲータを務めてシンフォニー・オーケストラの演奏でポップスを歌うというもの。

 メインゲストは稲垣潤一さん、スペシャルゲストにつのだ☆ひろ、さらに女性ボーカルとして辛島美登里さんに沢田知可子さん。

ポップスの舞台にオーケストラが参加することは珍しくないが、オーケストラの舞台にポップスのシンガーが上がることはあまり聞かない。

 私くらいの年代なら一度はドライブのときに、稲垣潤一さんのカセットテープをガチャリとカーステレオに差し込んだ経験もあるはず。

まだCDが無かった頃の「夏のクラクション」、硬質で透き通るあの歌声思い出します。

辛島美登里さんの「サイレント・イブ」沢田知可子さんの「会いたい」は私には少しあとの世代、そんな横糸を縦糸で紡いでくれるのがつのだ☆ひろですね。

 ボジョレーヌーボが解禁された木曜日石垣島から那覇経由で羽田へ、モノレールと山手線を乗り継いで直接上野駅へ、公園口に立つとまだ四時半なのに周囲はもう薄暗い。

どんな撮影のときもそうだけれど会場やスタジオに入るときは、まだ体のなかに残る石垣の空気を押し隠かくす努力が必要になる。

関係者入り口から控え室に降りてゆくとオーケストラ独特の管や弦の生音独特のリハーサル音が伝わってくる。

控え室を探し当てるとちょうど☆ひろさんはリハーサルを終えて舞台から降りてきた、専属カメラマンとしてはリハに間に合えないのは貴重な撮影チャンスを逃したことになる。

曲目を確認すると「my way」だという。

☆ひろさんには珍しい曲ですねと問うと、本人も初めてだと答える。

英語に明るい☆ひろさんが譜面をとって詩の内容を説明してくれる。

カラオケボックスが無い時代、誘われた飲み屋で他の客がこちらの迷惑顧みずエコー効かせくわえ煙草で一人酔っていたあの曲「my way」だ。

私は未だにカラオケが好きになれない、原因はあの頃のあのおやじ達のトラウマかと感じることがある。

とはいえ今日の「my way」はそんな次元ではない。


And so I face the final curtain

人生の幕を私は迎えようとしている

I've lived a life that's full 

波乱に満ちた人生を私は生き抜いた

Regrets, I've had a few

後悔なんてほとんどないよ

But then again too few to mention

でもとりたてて言うほどの人生でもない

I did what I had to do 

やらなきゃならないことを私はやってきた

And did it my way


歌詞を翻訳する☆ひろさんの声が詰まる、この曲の何かがアーティストの琴線をつま弾いている。

「なんだかさ、この詩は漢字で書かれたお経みたいで、一つ一つの単語が絵のように見えちゃうね」

石垣に戻って改めて「my way」を聴きなおした。

☆ひろさんの境地には遠く及ばないけれど、あの頃のおじさん達と年齢だけは同じになった。


歌舞伎町に行ってきました。



新宿歌舞伎町に行ってきました、しかも電車で。
いやー、徒歩で新宿歌舞伎町に行ったなんて何十年ぶりだろう。
いくら記憶をたどってみても思い出せないから、十年か、いや二十年は越えているかもしれない。
なにしろ縁のない街なのである新宿が。
かつてPRIDEというイベントの撮影をしていたとき、選手の宿が新宿ヒルトンだったのでその頃は毎月のように通ってはいたけれど、それでも比較的静かな高層ビル群側だっし車だった。
とてもとても電車と徒歩でなんて考えただけでも血圧が上がります。
なんたって一日で三百五十万人があの駅を通って出たり入ったりしているそうです。
アリの群でも三百万匹だったら相当怖くないですか、少なくともぼくは直視できない。
ましてやその中に入り込むなど、考えただけでも全身が痒くなる。
いや、ね、あくまで個人の思い込みですからして、決して新宿そのものを否定するとか、そこに集う方々をどうこう言っているわけではないのですよ。
むしろぼくなどには計り知れない魅力と必要性が有ればこそ、それだけの人々が足を運ぶのでしょう。
でもね、そもそも石垣島で漁師になろうなんて考える輩には一番遠い所でしょ、新宿って街は。
まして五十過ぎたおやじにはなんの魅力も想像することが出来ないでしょ。
歌舞伎町とか、二丁目の魅力を想像するのも怖いし。
でも行かねばならぬ用事というものは出来るものです、その用事とは“ヘンシモ”というバンドのコンサートが開催されたのです。
機会があれば是非ライブを聴きたいと願っていたバンドです、でもそれなりにマイナーなので次は何時開催されるか分からない、だから意を決して上京したのです。
新宿歌舞伎町のど真ん中にあるライブハウス“ロフトプラスワン”へ。
すごかったですね人、人、人、JR新宿駅の構内もさることながら、アルタから新宿通りを
越えてドンキホーテの前にたどり着くまでで、もう着ている下着はびっしょり濡れるほどでしたから。
いやいや、歌舞伎町のそういった“通り”に刺激されて濡れたとか、そんなことではなく、人にアタってですねTシャツが濡れたと、そういうことです。
何人もの人に聞きながらやっとたどり着いたのがコマ劇場前のマクドナルド。
すごいね、こんなファッションでハンバーグ買いにくるんだね。
パワフルだ!エキサイティングだ!新宿だ。
石垣島にも昨年マックが出来たけれど、マックだけは歌舞伎町ちょっとうらやましいかも。
あっ、“ヘンシモ”のこと書くの忘れてしまた。


日野皓正クインテット来島。



七日に舟蔵の里で予定されていた日野皓正クインテットのコンサートが、六号七号と立て続けに発生した台風で九日に延長された。
六日に発生した台風六号は七日には石垣島に最接近の予報、野外ステージの船蔵の里での開催は九日に延期になった。
中止にならなかったのがせめてもの救い、ここのところ雨も少なかった石垣島、海水の温度も上昇気味で魚や珊瑚に影響が出ていた。
延期でも開催が決まればこちらのもの、直撃して周辺の海をかき回し活性化してほしいと島民は願っていた。
ところが六号はさらりと西にずれて、石垣島を軽くなで回しただけで中国大陸に消えていった。
なら、コンサート出来たじゃねーか!
じつはこの日のために“なつや”は休業にしていた。
コンサートが九日に延期と新聞で発表された直後、こんどはフィリピン沖で七号が発生した。
ついに二年ぶり二度目の日野皓正コンサートは中止かとあきらめたが、会場を日航八重山に移して開催されることが決定した。
室内であれば七号の台風が直撃しても開催は危ぶまれない。
台風直撃の中の日野皓正クインテット、恵みの雨と熱い音楽の競演だ。
まっすぐぶつかってこい、台風七号!
当日七時半の会場時間、日航八重山の庭には心地いい風が吹いている。
またも台風は大きく西にそれて、石垣島にかすりもしなかった。
結果論だけれどそれなら、船蔵の里で野外ライブが出来た。
日野さんは台風のおかげで、思いのほか石垣島に滞在できたと喜んでくれた。
舟蔵の里で出来なかったことは残念だったけれど、すぐに室内会場を提供してくれた日航八重山にも感謝していた。
大都市でこうは物事運ばない、小さな島のフットワークあってのことだ。
コンサート終了後の打ち上げは、舟蔵の里の野外デッキでのバーベキューだった。
台風七号の風は、どこ吹く風だった。
船蔵の里の元村社長、招いていただきありがとうございました。
三回目のコンサートは必ず船蔵の里の野外ステージで、開催できること切に願う一人であります。

”ガテン”25号 6/6発売。



撮影が立て込んでいた。
夏を前にガイドブックなどの雑誌は、毎年この時期沖縄の取材をすることが多い。
一足早い“夏”を南の島なら演出できると考えるのだろう。
夏休みに南の島に行く人は、予定を立てる六月後半から七月に、ガイドブックを購入することが多い。
当然本の発売時期はそこに合わすのが望ましい。
発売日に逆算して撮影時期を決めると、三月から四月後半になる。
何処の会社も考えることは一緒なのか、スケジュールは重なってしまう。
でも石垣島に住みはじめてから、ガイドブックの撮影が楽しい。
普段は居酒屋“なつや”の主人と、へたくそな漁師としてご近所さんと接している。
それはそれで付き合いが出来ているけれど、焼き鳥屋や漁師が近所のお店のメニューなどを撮影に行くと、もう一つ溶け込んだ付き合いが出来るようになる。
”サプライズ”ということなのだけれど、 “えーカメラマンだったの” といったミーハーな感じではない。
島では一人で複数の仕事をこなすのがあたりまえだから、作業のアイテムが一つ増えると重宝がられる。
昼間はマーケットの警備員しているおじーが、沖縄民謡でCD出してるし。
知り合いのそば屋に勤めるおじーは、ばりばりのイラストレーターで絵本を何冊も出版している。
電気屋のおっさんもこの時期、夜になるとヤシガニ獲り名人に変身する。
島に溶け込むには重宝がられなくてはならない。
左右の人差し指が関節から欠損しているのは、本人曰く“名人”のあかし。
ハブと同居するヤシガニを夜間効率よく獲るには、それなりの犠牲の上に成り立っていると誇りを隠さない。
昨晩そのおっさんが2キロもある、巨大ヤシガニを捕まえてきた。
写真を撮ってから冷凍庫でお休みいただこうかと、カメラを用意している間に逃げ出し、ドミトリーの中を駆け回った。
本棚を素早く駆け上ったヤシガニを、逃げ込まれないよう引きずり出したら“彼”がつかんだのがなぜか“ガテン”と“軍手”。
組み合わせの偶然に笑ってしまったのだけれど、たまたまその号の表紙が“真木蔵人”。
もしや“彼”の前世は“手に職関係”だったか、”サーファー”だったか。
あるいはヤシガニからの転職希望を暗示しているのか、想像の闇は尽きない。
ちなみに6月6日発売“ガテン”25号の巻頭特集、“島がキミを呼んでいる!”
の写真を撮影しました。
興味があったら買ってみて下さいね。
クレジット入っているかわからないけど、“オーベルジュ川平”の写真なのですぐわかるはずです。

ロッキーファイナル

日本最南端にある映画館は“万世館”。
雑居ビルの二階にあるこの映画は、小さいながらロードショー館だ。
とはいえ一階の階段部分に飾られているポスターは雑にガムテープで張られ、これから上映される“バベル”も世界同時封切りの“ハンニバル”のポスターもところどころ破れて風でめくれている。
今上映されている“ロッキーファイナル”も、一階の外観とポスターだけを見れば、石垣ではいまだに30年前の“ロッキー”を上映しているように見えてしまう。
その万世館に今日初めて行って来た。
スプリングが飛び出している椅子でもしかたが無い、風向きによってはトイレのニオイがただよっているのかもしれない。
覚悟は出来ていた、どうしても映画館で“ロッキーファイナル”を観たかったからだ。
おそらく年末にはDVDも出るだろうけど、それまで待てない、ということではなく、映画館で “ロッキー”を観たかった。
“ロッキーファイナル”のストーリーも評論も知らない。
“ロッキー”シリーズは2も3も4も好きではない。
スタローンの映画はたぶん全て観ているはずだけれど、パッと思い出せるのは“ロッキー”だけ。
映画を観たいというより映画でありながら、時間は事実とシンクロしているシルベスタ・スタローンの試合が観たかった。
スタローンはこの三十年間で数々の“超人”ぶりを演じて来たけれど、それはスタローンというアクターが演じたフィクション、未来にも過去にも僕の時間とはシンクロしていなかった。
三十年前“ロッキー”ファーストであの感動的な試合を見せてくれた、あのファイターが三十年をへてまた試合に復帰するという。
それなら、それならどんな駄作に仕上がっていようと、ストーリーが想像できようと関係ないのです。
“がんばれロッキー!”勝とうが負けようが、俺は君を応援しているぞ、と。
会場で応援したかった、三十年君はよくやったって。
映画“ロッキーファイナル”は第一作に勝るとも劣らなかった。
そして日本最南端の映画館“万世館”はその規模こそ小さいけれど、音響も空調も快適でした。
椅子の肘掛けにはちゃんとドリンクホルダーも付いた、コンフォタブルな映画館だった。
設備があんなにしっかりしているのに、入口のポスターに気を使わないのは、なんだか、やっぱりオキナワなんだよなー。


雨の竹富島。



昭文社から六月に出る女性誌“Sol-faモ最後の撮影地は竹富島。
あいにく天気は曇り時々雨。
せっかく八重山を紹介する写真だから、晴天の竹富島を撮影したいと考えていた。
とはいえ天気のことばかりはいかんともしかたがない、東京から来ている編集者も翌日には帰京しなければならない。
当日はロケハンだけして、写真は後日晴天の日に再撮するつもりで竹富に渡った。
竹富島は石垣島から船で十分足らず、いつでも行ける。
12時30分竹富ゆきの船は観光客で一杯、雨天用の大きなカメラバックと三脚類が狭い船内の出入り口を塞いでしまう。
竹富島の住人のオジーやオバーも大きな段ボールを持ち込んでいるけど、こちらは生活物資なので誰もいやな顔はしない。
こんなときの写真屋はすこぶる肩身が狭い。
港に船が着くや背中で謝りながら一番に下船する、最初に向かうのは島ソバの店“タケノコ”。
ここのおかあさんは笑い上戸で、一度笑い出すと止まらなくなる誰にも気さくな人。
店内でソバを持つおかあさんの撮影を頼むと、答えはNOだという。
この写真が撮影できないと天気の悪い今日、竹富島は全ての写真が暗くなるからと無理にお願いする。
それでもいやだとくり返すおかあさんは、笑いながら奥に消えて新しいTシャツに着替えてくれる。
別のテーブルでソバだけを撮影している間も、奥からおかあさんの“はずかしいさぁ”と笑い声がもれて来る。
曇りの島内を歩き始めると、白い珊瑚の道とグレイの石垣のまわりに様々な花がさいているのに気がついた。
強烈な直射日光の下で島を見ているとハイビスカスやブーゲンビリアなど、色彩が派手な花に目がいきがちだ。
雨や曇りの優しい光の下では普段気がつかなかった花々が島中に咲いていることに気がつく。
そのどれもが自然に咲いたものではなく住民が植えたもの、島の人達が守ってきた景色と調和している。
白いテッポウユリはこのくらいの天気の方が生き生きして見える。
三脚をたてて撮影していると後ろから水牛車が、ギシギシと珊瑚の道をきしませて近づいて来る。
水牛車で歌うおじーの“安里屋ゆんた”は調子がはずれているけれど、これも旅のご愛嬌。
八重山に来てもし天気に恵まれなかったら竹富島に行こう、南国の一面がもう一つ広がります。


宮古島に行ってきました。

島たこの柔らか煮。

取材で宮古島に三日間出張に行っている間に、ブログを一週間も飛ばしてしまった。
ぼけ防止にと自分に課題を与えるつもりではじめたことなのに、続けることの困難さを思い知ることになっている。
何かと行事や人とのふれあいが多く発生する島暮らしなので、話題には事欠かないのだけれど言葉に替える“こと”が難しい。
あんなこと、こんなこと書きたいのに上手く文章にできない、つらいね。
宮古で三日間の取材中二日間は天気が曇っていたので、辛うじて晴れた最終日に撮影は集中した。
アイテムを与えられた条件の下で、いかにスムーズにクリア出来るかが写真屋には求められる。
写真と天気はたえず一対のものだけれど、南国沖縄の写真にはより晴天が求められる。
曇りの日に晴れの写真は撮れないのだけれど、なんとか撮ってしまわなくてはならない。
そうでないとお金はもらえない。
写真はクリエイティブではあるのだけれど、天気はクリエイティブできない。
でもしばしば無理にでも、クリエイティブしてしまわなくてはならない。
それがプロだから、と思っているから。
長年やってきた写真屋でも、いつも目の前には大きな壁や河が流れている。
思いを言葉に替えて感じる文章にすることがそう簡単であるはずもない、よな。
で、天気にはあまり恵まれなかったのですが、人との出会いには恵まれました。
不案内な宮古島の取材で知られざる美味しいお店を色々さがしてくれた、“焼き肉ガーデン中山”の店長下里さんありがとうございました。
このお店宮古島の平良港のすぐ近くで、目の前には対岸の伊良部島が望める、広々としたオプンエアーで焼き肉が食べられる開放的な焼き肉屋です。
黒毛和牛がこんなにお手軽な値段で食べられるのは、ここだけの話石垣には無いと思う。
でもう一件紹介するのは、宮古島北部の“すむばり食堂”。
その日に採れた島たこを翌日に使う分だけゆでて作る“たこソバ”。
このたこがただゆでただけとお母さんは言うのだけれど、うんまい。
今日の先付けはその“本歌取”。
食材や料理法にあまり変化のない島料理の中にあって、この食堂のおかあさんがつくる色々なメニューは全て踏破したいと思ったほど。
これからも少しずつ美味い宮古島紹介しますね。



バックダンサーズDVDリリース。

映画“バックダンサーズ ”がDVDでリリースされた。
僕がオフィシャルをしているつのだ☆ひろさんが、出演しているので昨年撮影現場に少しだけ参加した。
映画の中のひろさんは70年代をひきずる、売れないおやじロックバンド“スチールクレイジー”のドラマー“ロジャー”。
ボーカルは陣内孝則さん演じる“ジョージ”。
主人公は四人のダンサー。
若いダンサーとおじさんバンド、それをとりまく業界もよう。
楽しく見ることができます。
写真の撮影現場が映画のどの場面か、そんなことも楽しんでいただけたら幸いです。


だめだよ"キム"さん。

北朝鮮が核実験をしたとか。
地上波四局しかない石垣にも当然そのニュースは入ってくる。
作ってしまえば使ってみたくなるのが人の道理。
一度挙げてしまった拳も,どこかにぶつけなければ気が収まらないものこれまた人の常。
それなら、また9.11やイラクのような事になるのだろか。
こんな事をくり返しても誰も得などしない様に思えるのだけれど、そうでも無いのだろうか。
誰かどこかで得をする人がいるのだろうか。
石垣島で観光事業にたずさわり、家族とスタッフをここの島で養いはじめて、"平穏"である事を強く願う様になった。
東京で暮らしているときは、阪神大震災や、築地サリン事件、そして9.11も対岸の火事であり、ワイドショーの出来事にしか感じられなかった。
台風や自然の災害ですら、その事は自分の暮らしとは遠いTVの中の出来事だった。
そういう意味ではフリーのカメラマンといえども、どこか企業に依存していた。
TOKYOという大都会に食わせてもらっていた。
石垣島は観光地、日本になにか大きな事件や、隣国で戦争でも起きるような事があれば、ダイビングや釣りどころではなくなるだろう。
平和であればこその“癒し”だからね。
キムさん、やっちゃったものはしょうがないからこれで終わりにしておこうよ。
人間寒いところにばかりいるとつい考え方が暗くなるもの。
そこからはそんなに遠くないから、石垣で釣りでもして、人生や人民の事を考え直せばいいのに。
一年ぐらい滞在すれば、結構いっぱいいっぱいで暮らしてきた自分に気がつくと思うけれど。
さいわい石垣には、焼き肉もあるし・・・・・・


BACK DANCERS

三ヶ月ぶりに東京に帰省した。
僕がオフィシャルをつとめるひろさんが映画を撮っているためだ。
映画のタイトルは『BACK DANCERS』。
僕は膨大な映画撮影の一瞬に立ち会っただけなので、この映画の全貌を語ることは出来ないけれど、どうも面白そうな映画が出来上がりつつある。
なによりキャストが渋い。
詳しいことをここで語ることが出来なくて残念だけれど、撮影現場の端々からいい映画だけが持つ”美味そう”な香りがぷんぷんしていた。
秋の公開が楽しみだ。
帰省期間中幸いにも桜の満開にも遭遇。
毎年当たり前に見てきた桜だけれど、冬を経てほんのり温かみを感じる”桜色”はやはりいいね。
温かい春の日差しのなかで桜の花をゆらす土手を上がってきた風が少し冷たくて、飲みたくなるよねー、ぬる燗。
なんて風情にゆっくり触れていたかったのだけれど、僕も花粉症持ちで帰省期間中におそらく5箱はティシュを消費した。
今年は花粉の季節が来ても楽なので、こりゃー花粉症も直ってきたかなと楽観していたらやはりだめだった。
単純に石垣島には花粉が無いというだけのことだった。
石垣島に帰ってきたらぴたっとむずむずが止んだ。
少し前までは”都会人”を自認していたけれど、もう無理ですね、都会生活。


calendar
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
<< February 2020 >>
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
recommend
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM